2025年12月、サイバーエージェント社は創業者社長を、創業者である藤田晋氏から山内隆裕氏へ交代しました。藤田氏は同社の会長として、世代交代を推進していくと発表されています。同社の社長交代は、多くの会社にあるような社内の突発的な意思決定によるものではありません。2022年からサクセッションプラン(後継者育成計画)として計画的に進められ、複数の社内候補のなかから山内氏が選抜されたものです。こうした透明性の高いプロセスを経た交代劇は、日本のIT業界においてはまだ珍しく、注目度の高い事例といえるでしょう。
創業者交代が「できる」会社とできない会社
筆者の仕事机には、株式上場から数年後に藤田会長(前社長)が執筆された、「渋谷ではたらく社長の告白」という書籍があります。当時のITバブルからの暴落を当事者目線で記した本はビジネスマンの共感を呼び、ベストセラーとなりました。あれからおよそ20年、2026年に53歳を迎えた藤田氏の潔い権限移譲は、一代で会社を大きくした理由を十分に感じさせるものといえます。なお、その後同社が成長し、あらたにインターネットテレビの事業構築などでぶつかった際の苦悩を描いた「起業家」というタイトルの書籍も、その横に並んでいます。
創業から数十年を経て、なお経営の第一線に立ち続ける創業社長は少なくありません。そのなかで自らの手で後継の仕組みを整え、計画的に身を引くことのできる経営者はそう多くはありません。たくさんの仲間とともに自分が大きくした、いわば「自分の分身」といえる会社を手放すことは、強い心理的抵抗が伴うものです。藤田氏のように早い段階から後継計画を公表し、着実に実行してきた姿勢は、経営者としての成熟度の高さを示すものといえるでしょう。言うは易し、行うは難しとはまさにこのことです。
社長交代をファンダメンタルに加える
トップの交代は、上場会社にとって大きな節目です。それまで創業者が力強く牽引した会社も、高齢や健康問題などで後進に道を譲ったのち、業績が落ち込むケースは少なくありません。多くの場合は前任の社長が新社長を選びますが、予想しえないことも起こるのが企業の社長交代です。なかには創業者が社内影響力を取り戻し、新社長を短期間で更迭するといった事態も発生します。当然、投資家から見るとマイナスの印象が強いものであり、株価にも少なからぬ影響を及ぼします。経営体制の不透明さは、中長期での投資判断を難しくする要因のひとつでもあります。
突発性の高いものと考えると、今回取り上げたサイバーエージェント社のように後継候補を選抜し、一種の物語のように進めていく手法は、投資家からの目線も高い評価に値するものといえるでしょう。同社のようにまさに社長交代の進め方そのものをひとつのファンダメンタル要因として加えていく視点は、今後ますます重要になっていくものと考えられます。

ITバブル各社の後継タイミングとは
興味深いのは、サイバーエージェント社をはじめとしたITバブル世代に巨大化した企業は、熱量のある創業社長が牽引したケースが多いということです。トップの年代を見ると、これから2020年代、2030年代にかけて高齢化による世代交代のタイミングを迎えます。とはいえ急成長を遂げてきた企業における後継体制の整備状況には、それぞれ濃淡があります。社内から見えなくても、いざというときに円滑な交代ができればマイナスではありません。ただ、可能ならその交代劇を見える化することによって、会社への期待値を集めることができます。主観的ですが、交代劇の見える化は将軍や大名の世代交代に馴染みがある日本社会に合っている、ということもできるでしょう。
時代はすでにITという言葉が当たり前のものとなり、いまはAIの波が急速に押し寄せています。著名な創業社長の多くは、このAI時代の変化にも柔軟に対応している印象を受けます。しかし彼らが生まれた当時、AIはまだ夢のまた夢の存在でした。それに対し、生まれながらにAIが身近にある「ネイティブ世代」こそが、これからの企業を次の時代に牽引していく可能性も十分に考えられます。後継者を選抜すれば、「当面あの会社は創業社長がいて、後継者も指名されている安心の投資先」というゆるぎない評価も得られるでしょう。
ITバブル各社の後継時期はまさにこれからであり、会社がそれぞれの企業文化や特色を踏まえた、独自のバトンタッチの物語を描いていくものと考えられます。投資家にとっても、単に業績数値を追うだけではなく、こうした経営体制の移行そのものにも目を向けることで、企業の持続的な成長力をより深く見極めることができるはずです。
日本はなかなか、挑戦することを是とする空気に変わらないなと事あるごとに思います。そんななか、「本物の挑戦者」は国民性など気にせずにリスクを取り、本物のチャレンジを繰り返して、つくりあげた会社を後進に譲るという、その人だけにしか見えない景色を長く味わっていることに、あらためて尊敬の念を感じます。


