UBSのクレディスイス買収で話題となったAT1債ってなに?

AT1債の価値がゼロに


スイスの金融機関最大手UBSが、同2位のクレディ・スイス・グループを買収することが決まりました。スイス政府とUBS、クレディ・スイスが、それぞれ3月19日に正式に発表しました。


米地銀のシリコンバレーバンク(SVB)の破綻をきっかけにした金融不安は、世界的な金融グループであるクレディ・スイスの経営不安にまで飛び火し、とうとう再編にまで発展する事態となりました。


世界的な金融グループの再編といったことだけでも大きな話題ですが、金融業界では別のトピックが話題になっています。それがUBSによるクレディ・スイスの買収スキームです。


今回、買収額は30億スイスフラン(約4260億円)相当となる株式交換で実施される予定となっていますが、クレディ・スイスでは、UBSによる買収の一環としてスイス当局の指示の下、160億スイスフラン(172億4000万ドル)相当のAT1債(その他ティア1債)を無価値化すると発表しました。


一般に債券は株式よりもリスクが低く、弁済などの順位も株式より優先されることが通常ですが、今回のクレディ・スイスの事例では、株式についてはUBSとの株式交換というかたちである程度価値が残ったのに対し、AT1債の価値がゼロとなりました。


AT1債の債券に投資していた投資家の立場からは、株式の価値は守られるのに債券であるAT1債が全損となるのは納得がいかない、という声も聞かれています。そこで今回はAT1債について、いったいどんなものなのかについて確認してみたいと思います。


AT1債の特徴


AT1債は劣後債の一種です。銀行の財務が悪化した際に債券の保有者が損失を引き受ける債券とされています。銀行が自己資本として算入できることから主に欧州の銀行を中心に発行が進んできました。


財務省の発行している広報誌「ファイナンス」で、2022年12月に「AT1債」に関する解説記事が掲載されています。https://www.mof.go.jp/public_relations/finance/202212/202212e.pdf


これによると、AT1債の特徴とは、「その他Tier1資本」を満たすための債券であるという点です。今回のSVBの破綻をきっかけにした金融不安でもリーマン・ショックの再来か、とさまざまなメディアでも報じられるケースがありますが、金融業界ではリーマン・ショックを経て、さまざまな規制が強化されてきました。


自己資本の質の向上もその一つで、バーゼル3では普通株式等Tier1資本(CET1)などが新たに導入されました。CET1とは、最も損失吸収力の高い資本(普通株式、内部留保など)を指します。難しいことを抜きにすると、この比率が高いほど、その金融機関の経営は安定している、とみることができる指標の一つです。


AT1債の場合、そのCET1比率が一定以下になった場合、元本が削減される仕組みが採られています(株式に転換されるCoCo債もありますが、ここでは省略します)。これはゴーイングコンサーントリガーと呼ばれます。


金融商品の性質としては、AT1債に投資した場合、前述したようにほかの債券とは異なり元本が削減されるリスクがある一方、普通の社債や劣後債に比べて金利が高く設定されているわけです。


今回のケースでは、クレディスイスのCET1比率はトリガーに抵触する水準にはなく、健全だとされる水準を保っていました。ただ、CET1比率とは別にスイス政府による保証が実施された場合は、無価値化されるという条項があり、それに抵触したことから株式の価値が一定程度残るのにAT1債が全損されることになりました。


通常の弁済順位とは異なるイレギュラーな措置だったため、金融市場で大きな話題となったわけです。そして、その影響は今回のクレディ・スイスの事例だけにとどまらないかもしれません。


金融業界への今後の影響は


これまでAT1債を購入していた投資家の立場からすれば、株式よりはリスクが少なく、通常の債券よりも高い利回りが期待できる、という商品特性を魅力に感じていたはずです。しかし、条件次第では株式よりも劣後する可能性がある債券であるということが、今回の件で広く周知されることになりました。そうなれば、わざわざリスクをとってAT1債を購入あるいは保有しようという投資家は減少するでしょう。


実際に20日のアジアの金融市場では、一部の銀行が発行するAT1債が大幅に下落した例が見られました。同日のブルームバーグの報道によれば、HCBCが新たに発行したAT1債も5セント余り下落し、90セントを割り込む場面があったようです。


前述したように特に欧州の金融機関において、自己資本の強化につながるAT1債の発行は盛んに行われてきました。しかし、クレディ・スイスの件をきっかけに、AT1債の発行体はこれまでの表面利率よりも、利率を引き上げなければ購入者を集められない、というケースが増えてくれば、資本コストの上昇につながり、銀行などの経営にも影響を及ぼすことになりかねません。


金融不安を払拭するための今回の大規模再編が新たな金融不安のトリガーとならないか、今後も先行きを注視する必要がありそうです。


日本株情報部 アナリスト

斎藤 裕昭

経済誌、株式情報誌の記者を経て2019年に入社。 幅広い企業への取材経験をもとに、個別株を中心としたニュース配信を担当。

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