【米国株インサイト】水素セクター(前編): 日米欧が政府主導で「水素戦略」

「水素社会など来ない」「燃料電池は永遠に未来の技術」――。イーロン・マスク氏が言い放った言葉です。マスク氏は電気自動車(EV)を開発、生産するテスラ(TSLA)の最高経営責任者(CEO)であり、EVを差し置いて水素をエネルギー源とする燃料電池車を称賛する立場にはありません。お得意のマスク節でライバル陣営を容赦なく攻撃するのは常套手段といえそうです。


ただ、マスク氏に賛同する、あるいはマスク発言の前から水素社会に否定的な識者が多いのも事実です。水素に否定的な理由の代表格は効率の悪さとコストの高さです。水素は電気と同様に2次エネルギーで、ふんだんにある水から電気分解できますが、電気分解ですので電気を使います。


水素の生成に使う電気をそのままエネルギーとして利用したほうが圧倒的にロスが少なく、「電気→水素」という工程に必要な設備への投資も不要です。わざわざコストをかけて水素に転換する必要などないというのが否定論者の主な主張だと思います。



マスク氏の発言で問題になるのは水素社会という言葉の定義なのかもしれません。水素が主要エネルギーとして社会を動かす未来を想像するのは確かに難しいと思います。ただ、水素は酸素と化学反応させると電気が発生します。電力との互換性を持つ2次エネルギー媒体と考えればどうでしょう。脱炭素に邁進する世界の趨勢を考えると、水素利用の幅は広がりそうです。


電気の弱点は大量に長期の貯蔵が難しく、蓄電池に貯めても自然放電でロスが大きくなるという点です。貯蔵が難しいという問題は需要と供給のタイミングのミスマッチに対応しにくいことを意味し、特に太陽光や風力など人の手でコントロールできない自然エネルギーでミスマッチが大きくなる恐れがあります。


一方、水素も貯蔵は難しいのですが、電気に比べて長期に貯蔵できるという特性があります。このため再生可能エネルギーで生み出された余剰電力を水素に変換すれば、ミスマッチで無駄に失われていく自然エネルギーの一部をつなぎとめ、生かすことができます。


日米欧が政府主導で水素利用を推進

実際、世界的に二酸化炭素排出量と除去量を差し引きゼロにするカーボンニュートラルを実現する流れが強まる中、先進各国は水素の活用に取り組んでいます。欧州連合(EU)の行政機構である欧州委員会は2020年7月に水素活用の骨子となる「水素戦略」、2023年2月にカーボンニュートラルに貢献する産業を支援する「グリーンディール産業計画」を発表しました。2030年までに再生可能エネルギーから生成するグリーン水素の製造量を年1000万トンに増やす方針です。


日本政府は2017年に策定した「水素基本戦略」を2023年に改定しています。2040年までに水素の製造と輸入で年1200万トンの水素を導入する計画です。2023年6月には米政府も「国家クリーン水素戦略」を発表し、2030年までにグリーン水素の製造量を年1000万トンとし、EUに肩を並べる姿勢を明確に打ち出しています。


日米欧が政府主導で水素利用を推進するという流れは関連の企業にとって大きなビジネスチャンスです。今回は水素関連のビジネスに取り組む企業をご紹介します。


エアープロダクツ&ケミカルズ、サウジでメガプロジェクト

エアープロダクツ&ケミカルズ(APD)は、産業ガスの市場シェアで世界3位の企業です。酸素、窒素、アルゴン、炭酸ガス、ヘリウム、水素、特殊ガスなどを生産しています。水素ビジネスでは60年を超える歴史を持ち、水素製造では世界最大手です。


カーボンニュートラルへの取り組みという観点で水素は3種類の色に分類されます。石油や天然ガス、石炭などの化石燃料から抽出されるのが「グレー水素」です。化石燃料から抽出されますが、その際に生じる二酸化炭素を貯留などで処理するのが「ブルー水素」、そして水を再生エネルギーで電気分解して作り出すのが「グリーン水素」です。


エアープロダクツ&ケミカルズが現在提供する水素は重質油の分解やガソリンの硫黄分除去といった用途に加え、基礎化学品の原材料として利用される産業ガスがほとんどです。現状では炭化水素から抽出し、二酸化炭素を処理しない「グレー水素」が中心ですが、新たなプロジェクトでは「ブルー水素」や「グリーン水素」への移行に取り組んでいます。



現在の主力である産業ガスと並ぶ将来の事業の柱として、「ブルー水素」と「グリーン水素」で構成する「クリーン水素」を掲げています。すでにメガプロジェクトが始動しており、産業ガスの世界的な大手が将来の事業の柱に位置づけるのにふさわしい規模です。


それがサウジアラビアで建設中の未来都市、ネオム(NEOM)で計画する世界最大級のグリーン水素プロジェクトです。エアープロダクツ&ケミカルズは2020年にこのプロジェクトに参加すると発表し、2022年には設備の建設について契約を結びました。


このプロジェクトでは風力発電や太陽光発電などで得た再生可能エネルギーを使用し、電気分解で水素、空気分離装置で窒素を製造します。水素と窒素でアンモニアを合成し、アンモニアのかたちで運搬した後、再び水素を解離させて利用する仕組みです。アンモニアは貯蔵や運搬が容易で、水素キャリアとも呼ばれています。



エアープロダクツ&ケミカルズはサウジの2社と合弁でこの事業を展開し、出資比率は3社等分ですが、生産したアンモニアはエアープロダクツ&ケミカルズがすべて引き取ります。計画ではアンモニアのかたちで日量600トンのグリーン水素を製造する予定で、2026年にも生産を始めます。最終的にバスやトラックなど大型車両のエネルギーとしての利用を想定しています。


米国内でもグリーン水素を製造するプロジェクトに乗り出しています。テキサス州では発電事業者のAES(AES)と共同で約40億ドルを投じ、水素の生産設備を建設する計画です。日産能力は200トン超で、米国内では最大となります。風力と太陽光の電力を利用する設備で、2027年に商業運転を始める予定です。

中国株情報部

島野 敬之

出版社を経て、アジアの経済・政治情報の配信会社に勤務。約10年にわたりアジア各国に駐在。 中国株二季報の編集のほか、個別銘柄のレポート執筆を担当する

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