スーパーに行っても、専門で扱う米店に行ってもまったく在庫はない。8月上旬から思うようにお米が手に入らない状況が続いています。いわば「令和の米騒動」というべき状況ですが、解決の見通しは立っているのでしょうか。そして、生活インフラの毀損ともいうべきこの状況が、「思ったほどの騒ぎ」になっていないのは何故でしょうか。
在庫不足に拍車をかけた宮崎の地震
スーパーからお米が消えている背景は、そもそも昨夏の猛暑で在庫量が減っていたことに起因します。農水省の発表する「お米の在庫量」は2024年7月、現在の在庫量として前年比で41万t少ない156万tと発表されました。
加えて8月8日に起きた日向灘の地震後に、米を買い占める人が増えたことも影響しました。日向灘の地震は単発ではなく、太平洋側一帯に甚大な被害をもたらすと懸念される「南海トラフ大地震」との関係性が危惧されています。災害リスクが高まると、生活必需品が買い占められる状況は、これまでもオイルショックに代表されるよう何度も発生しました。
9月末からは新米が登場し沈静化するものの、小売価格は例年に比べ1.5倍前後になる見通しということです。そもそも物価高のため、価格が上昇することは止むを得ないでしょう。
なぜオイルショックのように大きな混乱が起きないのか
筆者が一連の報道を見て実感したのは、社会が正確な情報を掴み、「落ち着いている」ということです。あくまで主観と断りますが、「ちょっと、お米ないよね。私たちの生活大丈夫なの?」「国は選挙なんかやっていないで、どうにかしてお米調達してよね」といった、これまで社会不安の上昇とともに見てきた混乱が、今回は一部でしか発生していないように感じます。国会議事堂前を米を求めてパレードしたという話も聞きません(国会閉会中だからかもしれませんが)。
「もう少し待てば新米か来るのか」
「少し高いけど秋には落ち着くよね」
「台風に地震もあったから、それは買占めも起こるよね」
確かに生活への影響を憂う声はありますが、やはり限定的である印象が強いです。また、このような状況に油を注ぐSNSにも、憂いの声のなかに「もう少ししたら新米が来るね」というような、混乱を落ち着かせる投稿も目立っていました。
「第一回米騒動」は大正7年(1918年)、政府がシベリア出兵の方針を固めたことを背景に、投機目的の米買占めが起こり、米価が急騰しました。大戦前であり、2024年の社会構造とはあまりに異なるため、両者を比較するのは危険でしょう。そう考えると、令和の米騒動と比較するならば、1970年代に発生したオイルショックでしょうか。
もちろんオイルショックにより供給不足となったトイレットペーパーと、お米の立場は異なります。社会変化とともに米の需要量が減少していることも関係します。それでも大多数の食卓にとって米が社会インフラといえるのも事実です。新米が来ると落ち着くとの指摘が既に出ているのは社会の成熟具合を分析する者として、とても興味深いポイントです。
「米の代替商品」にも高騰の兆しはなし
ところでお米が無ければみなさん主食に何を食べるのでしょうか。パンでしょうか。パンといえば国内の菓子パンの4割を占める銘柄が思いつきます。
山崎製パン(2212)です。高騰しているどころか、米不足のなか急落しています。同時期に発表した決算内容と、自社株買いが投資家の失望売りを招いたようです。
8月上旬の米騒動を受けて、「米ではないならパンだ」と同社の株を購入したら、いま著しい評価損に悩まされていることがわかります。個別株の難しいところです。とはいえ繰り返しになりますが、実生活に加えて投資の世界でも、今回の米騒動は限定的といえるでしょう。
水やガソリンなどの場合にどうなるか
だからといって、社会が想定外の出来事すべてに冷静を保つことができるか、はわかりません。食卓の主役である米はまだ代替食料があるから落ち着いているだけで、これが水やガソリン(石油)など「代わりのないもの」になったときにどうなるか、は予測できない点といえるでしょう。
特に先日の日向沖地震から、日本列島各所で地震が頻発しています。メディアも「20〇〇年に南海トラフは来る」と連日特集しているほか、国が発令した注意情報で書き入れ時のビーチから人が消え、地域の観光産業に多大な影響を及ぼしたという話もあります(本記事の趣旨と異なるため、注意情報の是非には言及しません)。
当たり前ですが、オイルショックのような大混乱は社会にとってマイナス面の方が大きいです。今回大騒ぎにならなかったSNSが、大騒動の火元になる可能性は充分にあります。だからこそ我々は「今回何も起きなかったこと」をひとつの教訓として、少しでも落ち着く習慣を身につけておきたいものです。