猛暑著しい毎日ですが、あと2カ月もすれば秋の香りが日本列島に到来します。
春夏秋冬、四季の形があるのが日本の魅力です。秋の食の象徴といえば秋刀魚(サンマ)ですが、最近スーパーで見かける機会が少なくなったことに気づきます。ニュースでも、記録的な不漁が報じられる秋の味覚は、秋刀魚を前面に出す各地の観光業にも大きな影響をもたらします。
秋刀魚を巡る水揚げ量の急減
秋刀魚は記録的な不漁が続いています。全国さんま棒受網漁業協同組合の調査によると、2022年の秋刀魚の年間水揚量は17,910トン、30年前(1990年)から2000年代初頭までは年間20万トン以上が持続していたものの、2015年前後から急減し、2019年には4万トン、2020年には3万トンを割っています。単純に2022年と1990年を比較すると、なんと94%落ち込んでいます。
日本の各地に訪れる海流の前に諸外国で乱獲されているという話もありますが、どうなのでしょうか。かねてより秋刀魚を食べる習慣は日本とサハリンなどロシアの一部に限定されていましたが、近年になり中国でも食用として認められてきたことと、世界的な日本食のブームにより、秋刀魚の消費がより広範に広がっています。また漁獲高の推移と直接の関係はありませんが脂の乗った秋刀魚が市場に回らずに高級魚として取引されるようになった背景もあります。
(秋刀魚水揚量の推移)
この理由としては農林水産省では2010年前後から秋刀魚の「沖合化」が発生し、東北の三陸沖まで来ていた親潮の流れが変化し、北海道の東側に直接到来するようになったと分析しています。
ただ同時に都道府県別の水揚量比較を調べると、30年以上前から水揚量のトップは北海道で、2位以下の東北各県が並びます。東北で獲れていた秋刀魚が北海道で獲れているというよりも、そもそも水揚げ量の著しい減少があり、獲れる港が変化しています。
元来秋刀魚の水揚げ港として有名な千葉県の銚子港は、近年著しい水揚量減少に悩む代表格といえるでしょうか。東北はもとより北海道としても決して安心はできない全体漁獲高の減少です。
今後秋刀魚を巡って変化する観光の文化への影響
秋刀魚は江戸時代から市民に根付いた魚であり、落語「目黒のさんま」でも演じられています。近年の漁獲高減少により秋刀魚が高級魚になる可能性も懸念されており、落語の内容と昨今の漁獲高減少の傾向が重なるのは気のせいでしょうか。
古典落語の目黒のさんまとは、道中で目黒の秋刀魚の塩焼きを食べて美味しさに感動した殿様が城にて秋刀魚を所望したものの、日本橋の市場から取り寄せ高級料理とした秋刀魚は美味しくなかったという話です。適材適所の大切さや、無知な殿様を風刺した意味があるとされています。
落語に限らずとも秋刀魚と文化は江戸時代から密接に繋がっています。日本各地には秋刀魚の一大産地として、観光業と紐づけている街も多いことでしょう。ここ数年の水揚量の下落は秋刀魚の産地としてのブランディングにも大きな影響を及ぼします。
比較的東日本に産地の多い秋刀魚ですが、対して西日本に産地の多いユズやカボス、スダチなどと組み合わせて秋刀魚を秋の風物詩に押し上げる風潮も長く続いてきました。香ばしい秋刀魚を目的に遠方から観光客が大挙することが期待できない以上、「代わり」を探さなくてはなりません。
これまでの生産地が代わりに掲げるものに投資家として注目したい
スーパーの海鮮コーナーを歩くと、秋刀魚のほかにブリ、イワシやアジが並ぶようになりました。一時期不漁が叫ばれたニシンも、最近は再び食卓に戻ってきたというニュースも見ます。秋刀魚単体で見れば不漁でも、代わりの魚が生産地の漁業関係者の生活を維持していると願いたいものです。
もちろん対象となる魚が変われば漁獲するノウハウや設備も変わります。秋刀魚が取れなくなったら同じ手法と設備でブリを、という話にはなりません。万物の将来の姿や変遷に期待をする投資家としては、いま九州や沖縄にいるカラフルな魚の生産地が北上し日本沿岸地域に新しい表情を見せることも想定しつつ、漁業のほかに力を入れ、新たな産業を勃興させる胆力にも期待したいところです。
筆者は北海道出身ですが、明治時代は農業不毛の地と言われ続けてきた当地も、技術革新と関係者の努力によりここまでの生産拠点になりました。「秋刀魚取れなくなったね。秋の風物詩が残念だね」と秋刀魚の不漁が報じられて我々が昔を懐古している同じ時間で、先を見る方々は漁獲量を復活させる方法と、もしもそれが叶わないとすれば代替の方法が何か無いものかと日々胆力をもって向き合っていることでしょう。