今回は香港証券市場の歴史について紹介したいと思います。世界初の証券取引所が設立されたのは1531年のベルギーのアントワープ取引所と言われています。その後、欧州を中心に広がり、いまでは世界中に取引所があります。香港の証券取引所の歴史はいつから始まり、どのような変遷をたどってきたのか?これから見ていきましょう。
最初の証券取引所の設立は1891年
香港では19世紀の中頃には証券取引が行われていましたが、特定の決まった場所で行われるようなものではなかったようです。最初の証券取引所ができたのは英国統治時代の1891年のことです。最初の取引所は「香港股票経紀会」(Stockbrokers' Association of Hong Kong)という、証券ブローカーが集まって作った組織でした。日本で最初の証券取引所ができたのが1878年のことなので、日本よりも十数年遅れてのスタートとなります。
最初の取引所は、現在も香港の金融の中心地であるセントラル(中環)のアイスハウス・ストリート(雪廠街)という場所に建てられました。アイスハウス・ストリートという名前は、もともとこの地に氷を保管しておく倉庫が置かれていたことに由来します。当時、香港の蒸し暑い気候に慣れない英国兵士が次々と熱病にかかってしまい、保冷用として海外から大量に氷を輸入していたのです。
このころの取引所では、毎日午前10時と午後2時半の2回値決めを行い、そこで決めた価格に基づいて取引を行っていました。取引されていた銘柄は英国系の企業が中心です。取引所の会員になるには審査があり、相応の資金力と名声を兼ね備えた英国人か香港に居住する外国人に限られていました。当時の香港は英国の植民地だったので、香港に住んでいる中国系住民の地位は低く、差別的な扱いを受けていたのです。
「香港股票経紀会」はその後、1914年に組織の名称を「香港経紀商会」(Hong Kong Stock Exchange)に変更しています。
写真は香港セントラルで海岸を埋め立てている様子(1890年撮影) 出所:中環故事
1921年に2つ目の証券取引所が誕生
1921年になると香港で2つ目の証券取引所となる「香港証券経紀協会」(Hong Kong Sharebrokers’ Association)が設立されます。「香港経紀商会」から排除され、入会できなかったブローカーを中心に結成されたものでした。これまでの組織に対する不満が設立の背景にあったようです。
しかもこの取引所が選んだ場所は、「香港経紀商会」と同じアイスハウス・ストリート。当てつけのようにすぐ隣に取引所を構えたのです。「香港経紀商会」への対抗意識が表れています。
(引用:Google MAP)
1920年代は証券会社の乱立時代
1924年には、「香港経紀商会」の会員だったJ.Fライト氏とT.Wホーンビー氏が、会員資格を制限されたことに不満を持ち、「香港股票及物業経紀社」(Share & Real Estate Brokers' Society of Hong Kong)という新たな取引所を設立します。このほかにも、小規模ながら「香港匯兌経紀会所」(Exchange Brokers’ Association of Hong Kong)という取引所も存在したようです。
いずれの取引所もセントラルのアイスハウス・ストリートから近い場所にありましたが、その後1920年代末から1930年代初めにかけて廃業しています。
日本統治時代を経て2つの取引所が統合
日本統治時代の1941年12月から1945年8月にかけ、香港の証券取引所は閉鎖されていましたが、戦後しばらくして取引が再開されます。ただ、当時の香港経済は非常に景気が悪く、商いも活発とは言えない状態でした。この時代、香港の証券取引所は「香港経紀商会」と「香港証券経紀協会」の2つに絞られていましたが、それでも2つの取引所が共存するには厳しい状況でした。そこで2つの取引所は、存続のため統合の道を選びます。
こうして1947年に誕生したのが「香港証券交易所」(The Hong Kong Stock Exchange)です。この段階で香港の取引所は一つにまとまります。この取引所が現在の香港証券取引所かというと、実はそうではありません。
その後しばらく「香港証券交易所」が唯一の取引所として、香港の証券取引のすべてを担うことになりますが、この後も紆余曲折が続くことになります。
今回はアイスハウス・ストリートを中心に繰り広げられた1940年代までの香港証券市場の変遷を見てきました。次回はその後、香港の証券市場がどのような歴史をたどるのか見ていきたいと思います。お楽しみに。