1999年1月1日、欧州統一通貨「ユーロ(EURO)」が誕生しました。
「ユーロ(EURO)」の名前の由来は、「ヨーロッパ(EUROPA)」ですが、「ヨーロッパ(EUROPA)」の由来は、ギリシャの最高神のゼウスに見初められたフェニキアの古代都市テュロスの王女「エウロパ(EUROPA)」です。
ゼウスが牡牛に変身してエウロパを連れ去る場面は、『エウロペの誘拐』として西洋絵画を彩り、ゼウスは「牡牛座」に、エウロパは「スバル」となり、天空を飾っています。
第1&2次世界大戦の戦禍をくぐり抜けた欧州の政治家達は、両大戦を引き起こしたドイツを封じ込めて、アメリカ合衆国やソビエト連邦に対抗しうるヨーロッパ合衆国・連邦の構築を目論んでいました。
そして、1989年にベルリンの壁が崩壊し、1991年に東西ドイツが統一される時、サッチャー第71代英首相は、ドイツ統一を認める条件として、コール第6代独首相に対して、ヨーロッパ最強の通貨「ドイツマルク」を放棄することを求めました。
ヨーロッパ統一に向けた統一通貨の創造、そして、欧州連合(EU)の設立は、レーガン第40代米大統領やサッチャー第71代英首相が唱道していった「ネオリベラリズム」「グローバリズム」の欧州での橋頭保となりました。
しかし、21世紀になり、「リーマンショック」というグローバル金融危機、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)、そしてロシアのウクライナ侵攻により、根幹が揺るぎ始めています。
英国は、1999年の統一通貨ユーロへの参加を見送り、2016年には国民投票で欧州連合(EU)からの離脱を決定しており、「グローバリズム」の終焉を見越していたのかもしれません。
統一通貨「ユーロ」の金融政策は、欧州中央銀行(ECB)が一元的に管轄することになりましたが、財政政策は、各国の税率に影響が及ぶことで、欧州財務省の設立は先送りされました。その代わり、参加国の財政基盤を厳格なものとするため、ユーロ参加国に対して、厳格な財政基準「安定・成長協定」を要請しました。すなわち、財政赤字は、単年度で国内総生産(GDP)の3.0%を超えてはならない、債務残高は対GDP比60%を超えてはならない、というものでした。しかし、イタリアやギリシャは、この基準を満たすことが出来なかったため、両国を震源地とする欧州債務危機が勃発し、関係国の頭文字をとって「PIGS金融危機(ポルトガル(Portugal)・イタリア(Italy)・ギリシャ(Greece)・スペイン(Spain)」と呼ばれました。
ドイツのシュレーダー首相は「もし戦後がベルリンの壁の崩壊で9年前に終わったとしたなら、われわれの将来は1999年の1月1日に始まる」と述べています。
1998年12月31日、欧州連合(EU)蔵相理事会は、新通貨「ユーロ」と参加欧州各国通貨との交換レート(conversion rates)を決定しました。
1ユーロ=1.95583 ドイツ・マルク
1ユーロ=6.55957 フレンチ・フラン
1ユーロ=1936.27 イタリア・リラ
レート算出時に採用した相場によると、1ユーロは対米ドルでは1.16675 ドル、対円では132.80円となります。
1999年1月1日、インドの外為市場で、インドの国営銀行と一部の顧客が1ユーロ=1.17ドル付近で500万ユーロを買ったと報じられています。
1月の月足は、始値が1.1749ドル、高値1.1886ドル、安値1.1344ドル、終値は1.1367ドルとなっています。
ユーロドルは、2000年の米国のITバブルの時は、欧州から米国への資金移動で0.8228ドルの最安値まで下落し、欧米日の協調ユーロ買い介入が断行されました。その後、米国のサブプライムローン危機の時は、米国から欧州へ資金が還流したことで1.6040ドルまで上昇しました。
2002年には、ユーロ紙幣・貨幣の流通が開始され、ユーロへの「悲観:ユーロ・ペシミズム」から「楽観:ユーロフォリア(※ユーロEUROと「高揚感 euphoria」を合わせた造語)」へ切り替わりました。
しかし、2022年7月、欧州のエネルギー危機、スタグフレーションへの警戒感が高まっており、ユーロドルはパリティー(1ユーロ=1ドル)を割り込みました。