1995年1月17日に勃発した阪神淡路大震災の後、ドル円は4月19日に79.75円の1973年変動相場制導入後の円高値を付けました。
2011年3月11日に勃発した東日本大震災の後、ドル円は、10月31日に75.32円の変動相場制導入後の円高値を付けました。
一般的に、日本が大震災に襲われた場合、日本の経済の先行きが不確実になるため、日本売り(株売り・債券売り・円売り)が想定されます。
例えば、1923年9月1日に勃発した関東大震災では、ドル円相場は、2.049円前後から翌年24年には2.382円、25年には2.451円まで20%以上の円安となっていました。
しかし、2つの大震災の後は、日本「有事の円売り」ではなく「有事の円買い」が起こりました。その背景には、日本が「世界最大の債権国」であること、日本が相対的に低金利国であること、などが指摘されています。
日本の2021年の対外資産残高は1,000兆円に迫る勢いで、対外負債残高を引いた対外純資産残高は300兆円を超えており、25年連続で世界1位の債権保有国となっています。
日本で大震災が起きた時、復興資金を調達するために、海外に投資していた資金を円に戻す「円買い」が想定されます。
日本の投資家が海外資産を売却して日本国内に資金を還流させることは、3月期末決算や9月中間期末決算の時にも確認され、「レパトリエーション(repatriation)」と呼ばれて、円高要因となります。
日本の保険会社は、契約者から受け取った保険料の一部を海外の株式や債券で運用しています。大震災が起きた場合、保険会社は契約者に多額の保険金を支払う必要があり、保険会社がこれらの外国資産を売却して円に換えるのではないか、という見方が強まります。
また、日本は恒常的に低金利国であることで、米系ヘッジファンド勢は、低金利の円を調達して、高金利通貨で運用する「円・キャリートレード」という投資手法を駆使しています。
日本が大震災に襲われた場合は、「リスクオフ(リスク回避)」として、「円・キャリートレード」を手仕舞って、調達資金である円を返済する「円買い」の為替取引が活発化します。
1998年8月のロシアのデフォルト(債務不履行)、2008年9月のリーマンショックの後のリスク回避の円買いなどで、確認することができます。
1995年1月17日に勃発した阪神淡路大震災の後、ドル円は4月19日に79.75円の1973年変動相場制導入後の円高値を付けました。
当時の国際金融情勢は、メキシコ通貨危機「テキーラ危機」の渦中であり、米国のクリントン政権は「ドル安政策」を採っており、ドルは下落トレンドの過程にありました。
そして、ドル円は4月19日に79.75円の1973年変動相場制導入後の円高値を付けました。
しかし、1995年1月に就任したルービン米国財務長官が、「強いドルは国益」とする「ドル高政策」に転換し、日米協調ドル買い介入などにより、ドル高トレンドに転換させています。
2011年3月11日に勃発した東日本大震災の後、ドル円は、10月31日に75.32円の変動相場制導入後の円高値を付けました。
3月17日に、ドル円は、当時史上最安値となる76.25円を記録しましたが、翌日の18日、先進7カ国(G7)による協調ドル買い・円売り介入が行われ、ドル円は、4月の高値85.53円まで上昇していきました。
ガイトナー米国財務長官は「G7として一致して行動し、急激な円高で日本の回復が損なわれるリスクの抑制に貢献できたことは重要だった」と発言しています。
財務省の介入実績によると、2011年2月25日から3月29日までの約1ヶ月間に実施した為替介入額は6925億円となっています。
その後、8月5日に米格付け機関 スタンダード&プアーズ (S&P)が、アメリカの長期発行体格付けを『AAA』から『AA+』に格下げしたことによる「米国債ショック」が起こり、ドル円は10月31日に75.32円の変動相場制導入後の円高値を付けました。