今年2022年の第22回FIFAワールドカップ・カタール大会の決勝戦は、リオネル・メッシ(得点5点:35歳・パリSG)を擁するアルゼンチン(優勝2回)とキリアン・エムバペ(得点5点:23歳・パリSG)擁するフランス(優勝2回)の対戦だったが、アルゼンチンが3-3(PK戦4-2)で3回目の優勝を遂げました。
メッシは得点7点で史上初の2回目のMVPを獲得、56年ぶりのW杯決勝におけるハットトリックの偉業を達成し、エムバペは得点8点で得点王に輝きました。アルゼンチンの優勝は「神の手」マラドーナ(1960年-2020年)に率いられた1986年以来36年ぶりで、翌年1987年(※ブラックマンデー)に生まれたメッシが「ジュール・リメ・トロフィー」を取り戻したことになります。
数々のタイトルを手にしてきたメッシに唯一足りなかった「W杯優勝」の栄冠を勝ち取り、カタール大会は、メッシのメッシによるメッシのための大会となりました。そしてフランスがワールドカップを始めて制した1998年(※ロシアデフォルト)に生まれたエムバペには、移り気なサッカーの神様が微笑むことはありませんでした。
ワールドカップ・カタール大会の決勝戦を盛り上げた得点王のエムバペとMVPのメッシというパリ・サンジェルマンFCに所属する両雄の生まれた年を回顧してみたいと思います。
■リオネル・メッシ(1987年生まれ)
リオネル・メッシは、1987年6月24日に、アルゼンチンのロサリオで誕生しました。前の年の1986年の第13回FIFAワールドカップ・メキシコ大会で、マラドーナ率いるアルゼンチンが2回目の優勝を果たしていました。父方の先祖は、イタリアからの移民、母方の先祖はスペインからの移民であり、4歳の時から父親がコーチを務めるクラブでサッカーを始め、10歳までの6年間で約500ゴールを記録しました。
しかし10歳の頃に成長ホルモンの分泌異常の症状(成長ホルモン分泌不全性低身長症)が発覚して、成長ホルモン投与の治療なしでは身体が発達しないと診断されました。
メッシは13歳の時、身長143cmでFCバルセロナの加入テストに合格し、当時の監督カルロス・レシャックは、家族揃ってのバルセロナへの移住を条件に治療費を全額負担することを約束しました。その後は、成長ホルモン投与によって身長は170cmまで伸びています。
1987年のドル円相場は、1985年9月のプラザ合意によるドル安誘導合意で240円台から、87年2月のルーブル合意でのドル安阻止の失敗で、1988年1月の120円台に下落する途上にありました。そして、10月19日には、「ブラックマンデー」で世界同時株安となりました。1987年10月のダウ平均は、高値2662.37ドルから安値1616.21ドルまで約39%下落しました。
■ キリアン・エムバペ(1998年生まれ)
キリアン・エムバペは、1998年12月20日にカメルーン出身の父親とアルジェリア系フランス人の母親の間にパリ19区で誕生しました。この年の第16回FIFAワールドカップ・フランス大会でフランスは初優勝を果たしています。
2018年FIFAワールドカップ・ロシア大会では、フランス史上最年少でのワールドカップでの得点を達成し、大会2位タイの4得点を挙げてフランスの2回目の優勝に貢献しました。
2022年FIFAワールドカップ・カタール大会では、決勝戦でハットトリックを達成し、8得点でFIFAワールドカップ・ゴールデンブーツを受賞しましたが、アルゼンチンに敗れて準優勝に留まりました。
1998年のドル円相場は、日本の金融危機や資本流出への警戒感から、年初の130円台から8月11日の高値147.64円まで上昇した後、ロシアのデフォルト(債務不履行)、ドリーム・チームと言われたロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)の破綻などで、111.45円まで急落しました。1998年のダウ平均は、7月の高値9367.84ドルから9月の安値7400.30ドルまで約21%下落しました。