あの時あの動き、過去から学ぶ

第45回 エルドアン・トルコ大統領、辛勝するものの信任されず

 1923年、アンカラの国民議会を率いていたムスタファ・ケマル『ケマル・アタテュルク(トルコ建国の父)』は、トルコ共和国の成立を宣言して初代大統領に就任しました。建国100周年にあたる今年の5月14日に、大統領(任期5年)と大国民議会(一院制600議席)の同時選挙が実施されました。

 20年間トルコを率いてきたエルドアン・トルコ大統領の信任投票となりましたが、得票率49.5%で辛勝したものの、過半数を獲得することができず、不信任となりました。

 エルドアン大統領は、過去2回の大統領選挙では、2014年が51.79%、2018年が52.59%と、+1.8%から+2.6%程度での辛勝を続けてきましたが、今回は0.6%足らずに過半数を獲得できませんでした。

 

 5月28日に行われる決選投票では、6つの野党(6党円卓会議)の統一候補であるクルチダルオール氏(得票率44.89%)との一騎打ちとなりますが、5.17%を得票した第3の候補オアン氏とその支持者達がキャスティングボートを握ることになります。

 

 2002年、エルドアン氏が率いていた公正発展党(AKP)が政権与党の座に上り詰めた背景には、1999年のトルコ北西部地震の被害を甚大なものにした建築基準法の不備と汚職への人々の怒りと大地震後の経済の低迷への不満がありました。

 今回、エルドアン・トルコ大統領が過半数を獲得できなかった背景には、2023年2月にトルコを襲った大地震に対するエルドアン政権の初動対応の遅れや建造物の耐震基準を骨抜きにしてきた責任が挙げられています。

 

日本でも、1995年の阪神・淡路大震災の時の連立政権(自社さ)や2011年の東日本大震災の時の民主党政権も、震災への対応の不手際から政権の座を失っています。

 

 エルドアン氏は2003年に首相、2013年に大統領に就任してトルコを率いてきましたが、その20年の間、トルコリラは長期下落トレンドを形成してきました。

ドル/トルコリラは、2002年1月の1.26リラ台から、2020年1月には6リラ台、そして直近は19リラ台まで、トルコリラ円は2002年の103円台から直近の6円台まで下落しています。インフレ率は、2020年1月の前年比+14.97%から2022年10月には前年比+85.51%まで上昇していました。

 

 トルコリラ下落の背景には、実質金利が低いこと、エルドアン大統領が信奉している「高金利が高インフレを招く」という金利理論、地政学リスクなどが挙げられています。


 実質金利が低いということは、直近のインフレ率が40%台で、政策金利は8.5%ですから、実質金利はマイナスになっています。

また、エルドアン大統領の金利理論「エルドアノミクス」では、高金利はインフレ上昇をもたらし、借り入れコストの引き下げが物価上昇のペースを抑え、経済活性化につながることになっています。そして、自身の金利理論に逆らって利上げを目論んできたトルコ中銀総裁を立て続けに更迭して、トルコ中央銀行の独立性を奪ってきました。

 エルドアン大統領は、イスラム金融の観点から金利を悪と断じており、「指標金利とインフレの関連性を押し付けようとしてくる人々は無学か売国奴かだ」と批判していました。

 

そのため、エルドアン政権下のトルコで実施された政策の多くを撤回すると約束してきたクルチダルオールが大統領に選出された場合、トルコリラが買い戻される可能性が予想されています。政治面では大統領制から議院内閣制へ回帰し、金融政策では、トルコ中央銀行の独立性を回復して、政策金利を引き上げ、2年以内にインフレ率を一桁にすると公約しています。

しかし、クルチダルオール氏が党首を務める共和人民党(CHP)が連立政権を組んでいた1973年から1979年と1992年から1995年にかけては、トルコは現在のインフレ率よりも遥かに高いインフレ率を記録していました。

また、議会は公正発展党(AKP)が多数派を確保していますので、大統領制のままならば「ねじれ議会」となり、議院内閣制ならば、エルドアン大統領が誕生する可能性が高いことになります。

 

 2020年から世界を襲っている高インフレ状態は、コロナショックとウクライナショックが背景にあります。

 2020年の新型コロナウイルス感染拡大を受けて、「供給サイド」が工場、倉庫、物流、小売店などのサプライチェーンが寸断されたことで減少しましたが、「需要サイド」は、現金給付などで、増加しました。

 2022年のロシアによりウクライナ侵攻により、両国から輸出されていた穀物や原油などの供給が減少し、コロナ明けの需要が増加したことも、需要と供給のバランスを崩壊させ、インフレ高進に繋がりました。

 

 インフレ目標5%を標榜しているトルコ中央銀行は、インフレ抑制のために本筋の利上げで対応したいと思いますが、大地震からの復興のためには、政策金利を低く抑える必要があるため、難しい舵取りが待ち構えています。カブジュオール・トルコ中銀総裁の見立てでは、通貨リラの安定と世界的な商品コストの低下を背景に、インフレ率は2023年末に22.3%、24年に8.8%への減速を見込んでいます。

この連載の一覧
第55回  ハト派とタカ派(2)
第54回 白川第30代日銀総裁と黒田第31代日銀総裁の「2%」
第53回 2024年米国大統領選挙のジンクス
第52回 2022年秋のドル売り・円買い介入
第51回 米為替報告書、日本を「監視リスト」から放免
第50回 「AIバブル」と「ドットコム・バブル」
第49回 40年周期の国策の失敗
第48回 チキンゲームという空騒ぎの閉幕
第47回  エルドアン=オアン体制の誕生
第46回 バーナンキ第14代議長とパウエル第16代議長の利上げ休止宣言
第45回 エルドアン・トルコ大統領、辛勝するものの信任されず
第44回  黒田総裁から植田総裁へ
第43回  米民主党大統領と下院共和党による茶番劇
第42回 タカ派かハト派か、それが問題だ
第41回 新デジタル円への切替という既視感
第39回 2008年と2023年の既視感
第38回 日銀10年の宴の終焉
第37回 パウエルFRB議長の「2011年夏の日の思い出」
第36回 「パンドラの箱」の中のリバーサル・レート
第35回 ワシントンでのインフレ巡る女子会
第34回 植田(元)日銀審議委員と第32代日銀総裁(候補)
第33回 勝つ介入
第32回 1兆ドルのプラチナコイン発行?
第31回 金融政策のパンドラの箱「YCC」
第30回  債務上限を巡る茶番劇
第29回 無能な議会 (Parliamentary Funk)
第28回 ドル高・円安8年サイクル
第27回 1987年と1998年に生まれて
ターミナルレートの後のリセッション
第25回【あの時あの動き、過去から学ぶ】カラー革命
第24回【あの時あの動き、過去から学ぶ】マラドーナ理論(Maradona theory)
第23回【あの時あの動き、過去から学ぶ】ワールドカップの法則
第22回【あの時あの動き、過去から学ぶ】パリ合意
第21回【あの時あの動き、過去から学ぶ】カーターショック
第20回【あの時あの動き、過去から学ぶ】英国民主主義の黄昏
第19回【あの時あの動き、過去から学ぶ】ルーブル合意(1987年2月:153.50円±2.5%)
第18回【あの時あの動き、過去から学ぶ】ドルの価値を決める者:米国大統領
第17回【あの時あの動き、過去から学ぶ】10月はウォール街の危険な季節
第16回【あの時あの動き、過去から学ぶ】9月は金融危機の季節
第14回【あの時あの動き、過去から学ぶ】ゴルバチョフ元ソ連大統領の光と影
第13回【あの時あの動き、過去から学ぶ】8月は円高トラウマ
第10回【あの時あの動き、過去から学ぶ】ブラックマンデー
第9回【あの時あの動き、過去から学ぶ】消費増税と円安
第8回【あの時あの動き、過去から学ぶ】大地震と円高
第7回【あの時あの動き、過去から学ぶ】ニクソン・ショック
第6回【あの時あの動き、過去から学ぶ】ドル円固定相場(1ドル=360円)決定
第5回【あの時あの動き、過去から学ぶ】欧州統一通貨「ユーロ」誕生
第4回【あの時あの動き、過去から学ぶ】ロシアのデフォルト(債務不履行)
第3回【あの時あの動き、過去から学ぶ】ソロスが英中銀を撃破した日
第2回【あの時あの動き、過去から学ぶ】ボルカー・ショック(1979年)
第1回【あの時あの動き、過去から学ぶ】1985年9月の「プラザ合意」

為替情報部 アナリスト

山下 政比呂

証券会社で株式・債券の営業、米系銀行で為替ディーラー業務(スポット、スワップ、オプション)に従事。プライベートバンクでは、為替のアドバイサーとして円資産からドル建て資産への分散投資を推奨してきたドル高・円安論者。 「酒田罫線法」「エリオット波動分析」「ギャン理論」などのテクニカル分析をベースに、ファンダメンタルズ分析との整合性を図り、相場観を構築。 ウォール街の格言「ゴルフと相場は、どちらもタイミングが全て」に出合い、ゴルフと相場の共通項を模索中。 2016年にDZHフィナンシャルリサーチに入社。

山下 政比呂の別の記事を読む

人気ランキング

人気ランキングを見る

連載

連載を見る

話題のタグ

公式SNSでも最新情報をお届けしております