日本の国策は、約40年周期で米国によって封印されてきました。
1905年、日本は、日露戦争でロシアに勝利したものの、セオドア・ルーズベルト米第26代大統領によって、日本側に不利なポーツマス講和条約を締結させられました。
1945年、日本は、太平洋戦争に敗北し、トルーマン米第33代大統領による占領政策を受け入れさせられました。
1985年、日本は、世界最大の貿易黒字と半導体の占有率を誇っていましたが、レーガン第40代米大統領によって、貿易赤字国に陥れられ、半導体の占有率ゼロに追いやられつつあります。
1.1985年の第1次経済的敗北
1980年代、レーガン第40代米大統領は、日本の輸出産業と根幹を成す半導体産業の壊滅を目論んで、プラザ合意というドル安・円高政策と日米半導体協定を強要しました。
1985年当時、日本は世界最大の貿易黒字国でした。しかし、日米貿易摩擦を解決するために、1985年9月にプラザ合意が締結され、ドル安・円高誘導が断行され、日本の輸出産業は壊滅的な打撃を受けました。
当時のベーカー米財務長官は、対米貿易黒字が最大の日本の竹下大蔵大臣に対して、1割円高の220円程度の円高を要請するつもりだったとのことですが、竹下大蔵大臣は、2割円高の190円までの円高を容認し、「円高大臣と呼ばれたい」と述べていました。
ドル円は、プラザ合意直前の240円台から、1995年4月に79.75円、2011年10月に75.32円まで下落し、2023年時点では、米国の目論見通りに貿易赤字国に転落しています。
1986年当時、日本は世界の半導体市場の50%を占めていました。しかし、日米貿易摩擦を解決するために、1986年に日米半導体協定が締結され、2023年の時点では占有率が一桁台まで低下しており、2030年にはゼロになる、と予想されています。
2.2025年の第2次経済的敗北
2023年5月18日、岸田首相は世界の半導体大手7社のトップと面会し、2兆円規模の対日投資を要請した、と報じられています。そして、経済産業省は、国内の半導体の売上高を現在の3倍の15兆円にするという計画を掲げ、2年間で2兆円の補助金を投じる、と報じられています。
対日投資2兆円と政府補助金2兆円により、日経平均株価は、半導体関連企業を軸に、バブル崩壊後の高値を更新し続けています。
相場格言に「国策に売りなし」、すなわち「国の政策に関連した業種・分野の銘柄は購入すべき」というものがあり、参入すべきかと思われるが、撤退のタイミングには要注意なのかもしれません。
しかし、日本の半導体産業の政策は、経産省が主導した場合は失敗する可能性が高いことが確認されています。