中国株投資を始めるためのキーワード。今回は「中央経済工作会議」について紹介します。
年に1度開かれる中央経済工作会議は、中国における経済関連の最高級会議です。この会議は中国共産党中央委員会と国務院が共同で開催します。財政政策や金融政策、産業政策、経済運営目標などを議論し、翌年の経済政策指針を決定します。1994年からは毎年開催されるようになり、国内外から高い注目を集めます。中央委員会は、共産党大会の閉会期間中に、党大会を代行して党を指導すると定められており、いわゆる「党中央」。国務院は共産党の組織ではなく、中央政府の行政機関であり、日本の内閣に相当します。中央経済工作会議を日本に風に例えば、与党幹部と内閣が共同で開催する経済会議、あるいは経済に特化した与党政府連絡会議のようなイメージでしょうか。
毎年の冬に非公開で開催、翌年の成長率目標などを決定
参加者は党総書記(最高指導者)をはじめとする中央政治局常務委員(いわゆる「チャイナ・セブン」)に加え、国務院の部長(閣僚)、全国人民代表大会・全国政治協商会議の代表者、地方政府、大手国有企業、金融機関、人民解放軍の幹部らです。11下旬から12月中旬にかけて2-4日の日程で開催されます。理由はよく分かりませんが、会議の日程は事前に公表されません。会議自体も非公開で、閉会後に国営メディアを通じて出すコミュニケで、会議の内容が明かされます。
政府系メディアなどによると、中央経済工作会議の開催前に、指導者らは1カ月以上かけて全国各地で調査を行い、経済政策について検討するそうです。会議では1年間の経済実績を総括した上で、国内外の経済状況の変化を踏まえ、マクロ経済発展計画を制定します。会議で策定した国内総生産(GDP)成長率目標などは通常、翌年3月に開かれる全国人民代表大会の初日に、国務院総理(首相)が行う政府活動報告(施政方針演説)で正式に公表されます。
基本スタンスは「穩中求進」、18年以降は安定成長の維持に軸足
中央経済工作会議で決定した経済政策基調を振り返ると、2009年以降は「積極的な財政政策」が堅持されてきました。金融政策に関しては、07年の会議で決定した翌08年の基調は「引き締め的」でしたが、リーマンショック直後の09年と10年は「適度に緩和的」に転じました。2011-16年は「穏健的」と中立的なスタンスになり、2017-18年は「穏健中立」とやや引き締めに傾きましたが、2019-23年は「穏健的」が続いています。
習近平体制は12年11月の共産党大会で事実上発足しましたが、その年の12月に開かれた中央経済工作会議は、11年の会議で打ち出された「穩中求進」(安定を保ちつつ経済成長を促す)の基本スタンスを継承し、その後もずっと維持してきました。こうしたなか、経済の高い成長率よりも、成長の質を重視する姿勢が鮮明になりました。15年の会議では「供給側結構性改革」(供給サイトの構造改革)を重点取組事項の一つと位置づけ、それは翌16年とその後の一定期間にわたり続きました。また、過剰生産能力の解消、企業負担の軽減、不動産在庫の解消、供給の拡大、金融リスクの防止・解消の5項目の改革を推進する方針を打ち出しました。16年の会議では「金融リスク防止や資産バブル防止」を翌17年の重要任務と位置づけ、これはそれまでの中央経済工作会議と異なるポイントとして注目されました。17年の会議でも「金融リスク防止」を翌18年の重点任務に据えました。
一方、米中貿易摩擦の激化を背景に、18年の会議では安定成長維持に向けたテコ入れが翌19年の重要課題となり、「雇用の安定、金融の安定、貿易の安定、外資の安定、投資の安定、経済予測の安定」を図る「六穏(6つの安定)」を重要政策任務に決定。また、19年の会議では「構造的、体制的、景気循環的な問題が絡みあい、国内経済の下押し圧力が増している」という前年よりも厳しい現状認識を示し、経済運営を合理的範囲に保つことを翌20年の目標に掲げました。安定を意味する「穏」という文字が、コミュニケに29回も登場したことも話題になりました。
19年末からの新型コロナウイルスの感染拡大で、中国経済は一層困難な局面を迎えました。20年と21年の会議では、翌21年と翌22年について、それまでの「六穏」に加え、雇用、民生、市場主体、食料・エネルギーの安全、産業・サプライチェーンの安定確保を図る「六保(6つの確保)」の実現を目指すとしました。
中国で約3年間続いた「ゼロコロナ」政策は、22年11月に事実上の撤廃となり、同年12月の会議で示した政策スタンスは「穩字当頭 穩中求進」でした。これは安定を最優先させ、その中で前進を求めるという意味です。コロナ禍で打撃を受けた経済の立て直しが急務で、当面は「安定成長の維持」が続き最重要課題に据え置かれそうです。