中国株投資を始めるためのキーワード

「新中国の株券の誕生」:株式制度の原点からのスタート

中国株を始めるためのキーワード。今回は中国株の歴史を辿り、新中国の株券の誕生について紹介します。


中国証券市場の歴史の19世紀末に遡ります。ただ、中華人民共和国(新中国)の建国後、30年間ほどは証券市場が消滅していました。新中国は社会主義の国で、株式と証券取引は、資本主義を象徴する「悪魔」のような存在。この言葉を口にすることすら憚られていました。しかし、株式制度を否定するはずのこの社会主義の国で、「工場を大きくしたいのにカネがない」「ビルを建てたいから資金を集めたい」といった素朴な理由から、やがて自然と「株券」が生まれました。まさに株式制度の原点、「資金集めの需要」からのスタートでした。


経済が疲弊するなかで浮上する「株式制構想」

1978年に鄧小平氏を最高指導者に迎えると、中国は新時代へ歩みだしました。といっても、10年にも及んだ文化大革命(文革)が深い爪痕を残し、経済が極度に疲弊。さらに、文革中に農村での労働を強いられた「知識青年」とよばれる若者たちが都市部に戻り、1979年にはその数が1700万人に上っていました。都市部に残っていた無職の若者も320万人存在します。あわせると職に付いていない若者は2000万人を超え、当時の中国都市部人口の10分1も占めていました。


若者の就職問題の解決には「働き口」を増やさなければなりません。1980年4-5月に中央政府が主催した「労働就業座談会」で、北京大学の厲以寧教授が「株式制構想」を持ち出しました。みんなで資金を集めて企業をつくり、企業が株式発行を通じて経営を拡大し、それによって雇用問題を解決すると呼びかけました。


「疑似株券」の誕生

「株式性構想」をめぐり当時の世論は二分し、激しいイデオロギー論争が繰り広げられましたが、やがては遼寧省撫順市の赤レンガ工場で、新中国初の「株券」が生まれました。


80年代初期に入ると、中国各地で建設工事が進み、レンガ不足が極めて深刻でした。撫順の赤レンガ工場、「撫順紅磚一廠」は年産能力が800万個でしたが、市場需要は2300万個。レンガを求める人やトラックが毎日、工場の前で長蛇の列をつくったそうです。増産して収益を上げる好機ですが、生産能力の拡大に必要な資金がありません。


工場に株券で資金を調達することを提案したのは、撫順人民銀行のある銀行員でした。工場への長期貸付が許されないなか、図書館で「外国の株」を紹介する本を目にしたのがきっかけだったそうです。撫順市政府と中国人民銀行に報告書を提出しますと、周囲からは「資本主義だ」と激しい批判を浴びましたが、撫順市政府は意外と前向き。紆余曲折を経て、1980年1月1日に「紅磚股票(赤レンガ株券)」が発行されました。地元のアルミ工場や鉄鋼工場、石油工場など200社以上の地元企業が赤レンガ株券を購入し、280万元の調達に成功しました。


ただ、赤レンガ株券は「股票(株券)」の名を持つものの、裏面には「返還方法と優遇条件」が記載されています。「生産能力の拡大を終わったら2年以内に元金を返済する」としたほか、優遇条件として購入者に「保有株数に応じてレンガを国が定めた価格で毎月供給する」ことを約束。償還期間があることから、どちらかといえば赤レンガ株券は債券に近い。そして、発行体も株式会社ではなく、中国人民銀行撫順支店でした。あくまでも「疑似株券」です。


ちなみに、赤レンガ株券の発行が成功した最も大きな原因は、レンガの供給を約束するとの優遇条件が魅力的だったからです。いまでいう「株主優待」が奏功したようです。 


「疑似株券」から「本当の株券」へ

赤レンガ株券を皮切りに、資金難に苦しむ中国各地で「株券」を発行して資金を調達する動きが拡大しました。1980年4月に「成都工展股票」、1983年7月に「深宝安股票」、1984年7月に「北京天橋股票」の発行が成功。どちらも償還期間付きの「疑似株券」でしたが、少しずつ、本物の株券に近づいてきました。


「成都工展股票」は発行体が銀行ではなく、調達資金を使用する企業となり、「深宝安股票」は募集広告を共産党機関紙「深セン特区報」に掲載。広告は200文字程度でしたが、いまでいうと「目論見書」に相当します。「北京天橋股票」の発行体である北京市天橋百貨股フン有限公司は、正式に登記された「株式制商業企業」の第1号となりました。この3社は再編を経て、1990年代に株式上場を果たしています。

 


そして、1984年11月、中国人民銀行上海支店の承認を経て、「上海飛楽音響公司股票」が発行されました。発行体は「上海飛楽音響股フン有限公司」で、上海のテレビ用スピーカー部品メーカーの「上海飛楽電声総廠」がステレオスピーカー生産事業の立ち上げ資金を調達するために設立した株式会社です。額面は50元、1万株を発行した。償還期間がなく、元本や利払いの保証も付かない新中国初の「本当の株券」となりました。


中国最高指導者の鄧小平氏は1986年11月、北京を訪問したニューヨーク証券取引所のジョン・フェラン理事長から受け取ったプレゼントの返礼として、「上海飛楽音響公司股票」を贈呈しました。北京天橋や撫順の紅磚股票など十数社が候補に上がったそうですが、最終的には株券としての要件をすべて満たしていた上海飛楽音響が選ばれました。この株券はニューヨーク証券取引所の永久展示品となっています。


この連載の一覧
「パンダ寄贈」:国慶節に香港へ2頭、経済効果に期待高まる
「中国股民の誕生」:冷淡から熱狂へ 1990年の株式投資ブーム
「相互取引制度」:本土投資家は香港株に、海外投資家はA株に投資が可能 制度の整備進む
「新中国の証券取引市場の誕生」:発行市場の広がりで流通市場が生まれる
「中国恒大集団」:本土不動産子会社に罰金、仲介機関や監査事務所にも波及
「新中国の株券の誕生」:株式制度の原点からのスタート
「金と中国」:人民銀は21年11月から買い増し継続、産金株は高値更新相次ぐ
「万科企業」:中国不動産市場と資本市場発展の縮図
「白名単」:融資に適した不動産プロジェクトを集めたホワイトリスト
「中国不動産市場の誕生」:1980年代に初の分譲物件
「景勝地運営」:上場企業を通してみる中国観光地、黄山や玉龍雪山など
「辰年相場」:過去4回は平均14%上昇、風水では年後半に上昇か
「映画市場」:23年興行収入は4年ぶり高水準、国産映画が圧倒的存在感
「胡潤百富榜」:英会計士が趣味で始めた長者番付、トップは農夫山泉の会長
「三条紅線」:不動産企業が超えてはならない3本のレッドライン
「シグナル8」:台風襲来で取引停止、制度見直し議論本格化
「中国人民銀行」:中国の中央銀行
「中央1号文件」:新年最初の政策文書 20年連続で「三農」がテーマ
「房住不炒」:不動産投機を封じ込む中国の不動産政策基調
「人口問題」:61年ぶり人口減、かつては第2子で高額罰金
「香港証取の2通貨建て取引」:人民元グローバル化推進の一環
「一線都市」:近年は「新一線都市」も登場
「新エネ車」:高まる中国の存在感 BYDは日本進出
「明星株」:台湾歌手の関連銘柄が香港デビュー
「国務院」、最高国家行政機関
「中央経済工作会議」、経済関連の最高会議
「広州交易会」:年2回開催、貿易動向を占うバロメーターとして注目
「n中全会」、5年間に7回開催の重要会議
「共産党大会」、事実上の中国の最高指導機関
「最低賃金」:地域ごとに決定、上海は月給が10年で6割増
「結婚事情」:婚姻件数激減、背景には中国古来の固定観念?
「失業率」:若年層は5人に1人が失業、諦めムードも
「全国政協」、全人代と合わせて「両会」
「全人代」、国家最高権力機関
「中国の祝日・イベント 」:国務院が祝日スケジュールを年末に発表、近年は「独身の日」も台頭

中国株情報部 アナリスト

シ セイショウ

中国・上海出身。復旦大学を卒業後、外資系法律事務所で翻訳・通訳を担当。来日後は証券会社や情報ベンダーでの勤務を経て、2016年にDZHフィナンシャルリサーチに入社。

シ セイショウの別の記事を読む

人気ランキング

人気ランキングを見る

連載

連載を見る

話題のタグ

公式SNSでも最新情報をお届けしております