中国株、あのテーマはどうなった?

第33回 内巻、寝そべり、潤学、献忠学:ネットに見える若者の本音

2020年前後に中国のソーシャルメディアで流行った言葉に「内巻」、「トウ平(トウは身へんに尚)」、「潤学」、「献忠学」があります。第31回でご紹介した「四不青年」に先駆け、社会の厳しい競争にさらされる若者の心情を反映した言葉として『香港経済日報』が取り上げています。


内巻:「こんなはずでは…」厳しくなる一方の内部競争


『香港経済日報』によると中国本土のネットで「内巻」が流行り始めたのは2018年です。たいへんな努力を傾けても、それに見合った報酬や地位が得られず、外に向けて発展する展望が開けないという無力感を表現しています。元ネタになったのは「involution」という学術用語です。米国の文化人類学者クリフォード・ギアツが1963年に出版した「農業インボリューション」のなかでインドネシアの農業の発展形態を説明する用語として導入しました。限られた耕作地が細かく分かれていくばかりで、そこで働く人は豊かにならない――中国の若者はそんな状態を自分達の境遇に重ねたようです。


英BBCによれば、本格的な「内巻」議論が始まったきっかけは自転車に乗る清華大学(北京大学と並ぶ中国の名門です)の学生達を撮った写真でした。20年にネットで出回ったこの写真には、自転車をこぎながらノートパソコンで論文を書き、あるいは本を読み、麺類を食べる学生までが写っていました。中国の最高学府における激烈な競争を見事に切り取った画像はネットで「清華巻王」と呼ばれ、多くの若者の心に響いたといいます。


「内巻」の背後には「こんなはずではなかった」という挫折感があったとBBCは伝えました。中国の中産階級の若者は、中国の急速な経済発展の恩恵を受ける両親を見て育っています。当然、自分たちにも同様の機会が訪れると思いきや、現実は過酷でした。「90年代や21世紀初頭とは違う。アイデア一つで創業し、たちまち金持ちになれる、そんな発展の時代は過ぎ去った」とカリフォルニア大学バークレー校の講師は語りました。



「トウ平」:もう頑張らない、寝そべりは正義


「内巻」に半年遅れて登場したのが「トウ平」です。日本語に訳せば寝そべりです。「頑張らない、欲張らない」ライフスタイルのことです。BBCの記者に言わせれば2つの流行語は対になっており、内巻が“過当競争”なら、トウ平は“退出競争”を表します。


21年4月、「トウ平すなわち正義」と題する一文が「百度(バイドゥ)」のフォーラムに投稿されました。古代ギリシャの哲学者を引用しつつ、「寝そべりこそ、智者の行動。寝そべるだけで人間は万物の尺度となる」と主張します。この投稿はネットで大評判となり、「善良な旅人」と名乗る作者は「トウ平学大師」の尊称を奉られました。


一方、中国の官製メディアは眉をひそめました。例えば『南方日報』は「奮闘の人生こそが幸福な人生といえる…プレッシャーに直面して“トウ平”という選択は不当であるだけでなく、恥ずべきことでもある。何の価値もない」と切って捨てました。『中国科学報』はソーシャルメディアを通じ、「寝そべりは極めて無責任な態度だ。自分の親を裏切るだけでなく、勤勉に働いた何億人もの納税者をも裏切るのだ」と述べました。


「90後」と呼ばれる90年以降に生まれた世代は、豊かな中国しか知りません。78年の「改革・開放」より前の、苦しい時代を経験した世代は「甘ったれるな!」と叱り飛ばしたくなったことでしょう。



潤学:そうだ、海外に逃げよう!


叱責を受けた形になった若者は、国外に活路を見出そうとします。例えば、海外留学という体裁で移民するなどの手段です。これがネット上で「潤学」という隠語の発生につながりました。中国語の「潤」はピンインで表記するとrun。英語のrun(逃げる)と表記上は同じです(発音は異なる)。


英経済紙『エコノミスト』は22年5月号の記事で、同年4月上旬から中旬にかけて対話アプリ「微信(WeChat)」で「移民」の検索が4倍以上に増えたと伝えました。中国版ツイッターである「微博(ウェイボー)」では、3月と4月に「潤」(つまりrun)という文字を含む投稿が7万8000件以上投稿されました。


『エコノミスト』は、若者を「潤学」に走らせたのは新型コロナウイルス禍に対応して当局が上海などで実施したロックダウン(都市封鎖)だったと論じました。記事には英国に留学した後、上海で働いている女性が登場します。彼女はロックダウンが50日を超えると出国の方法を調べ始めました。「中国の大都市はロンドンのようなグローバル都市だと感じていたが、やはり上海は中国だった」と幻滅を語っています。


献忠学:発信禁止・検索禁止のインターネットミーム


ただ、海外留学するような資金も機会もない若者は、やり切れない思いを抱えることになります。台湾メディアによると、これが「献忠学」(または省略した「献」)という物騒なネット用語の温床となりました。社会への不満をたぎらせ、無差別に他人を攻撃する人を指す隠語です。「献忠」とは張献忠という17世紀前半に実在した人物で、明末の農民反乱を指導し、四川で無差別殺人をおこなったとされています。このようなインターネットミームを中国当局が容認するはずがありません。台湾メディアによると、21年6月時点で「献忠学」や似た言葉は中国本土のネットで発信禁止・検索禁止となっています。


この連載の一覧
第43回 「不動産発展の新モデル」その3:中国指導部、住宅在庫の消化策検討を指示
第42回 「国9条」:配当利回り重視の投資戦略に脚光、注目銘柄は国有企業
第41回 「啓航企業」:国有企業のゆりかごでユニコーンは育つか
第40回 「kimi」:市場を沸かせる中国ユニコーンの生成AI
第39回 「不動産発展の新モデル」その2:痛みを伴う改革に踏み込めるか
第38回 期待は高い「低空経済」:eVTOL離陸に投資家も浮き立つ
第37回 「洋上風力発電」:低迷を脱するか、行方は政策の風向き次第
第36回 「24年の香港IPO」: 地位回復に向け中国本土、米国と競り合い
第35回 「辰年の投資戦略」:一押しは日本株、A株市場には慎重
第34回 「美麗中国」:習近平氏肝いりの“生態文明”建設事業
第33回 内巻、寝そべり、潤学、献忠学:ネットに見える若者の本音
第32回 住宅神話と「発展の新モデル」: 待ったなし、中国不動産市場の構造改革
第31回 「十不青年」: 家を買わない中国の若者、投資にも興味なしか
第30回 「国家隊」:株式相場を「実弾」で支える官製チーム、その実力は?
第29回 「生成AI」:中国市場を制する一般向けサービスはどれか
第28回 資本市場の活性化と逆行する「IPO抑制」
第27回 消えた「房住不炒」、投資家を走らす
第26回 医薬品業界に嵐を呼ぶか「反腐敗」
第25回 「ハンセンテック指数」3周年を機に巻き返しなるか
第24回 地方歳入増の妙案になるか「城中村」の改造
第23回 中国通信株の未来を担う「工業インターネット」
第22回 「ハンセン指数」上昇シナリオ実現の根拠と条件
第21回 株式市場を揺るがす「人民元相場」
第20回 習近平氏の肝いり「郷村振興戦略」
第19回 習近平色に染まるシン「新型都市化」
第18回 上半期のネット通販王者を決める「618」開幕
第17回 中国の株式相場を動かす「中特估」とは?
第16回「医薬品ネット通販」アリババとJDがしのぎを削る成長市場
第15回「半導体の国産化」(その3) 腐敗は一掃、戦略を再設計へ
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中国株情報部

村山 広介

日本の出版社や外資系出版社に勤務したほか、シンガポールの邦字新聞社でビジネスニュース編集を経験。 2011年8月、T&Cフィナンシャルリサーチ(現・DZHフィナンシャルリサーチ)に入社。

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