”月の裏側”で誕生した高性能AI
3月下旬、中国の投資情報メディアの大見出しに「kimi」という見慣れない語句がたびたび登場しました。関連銘柄が急騰したことを受け、最新のハイテク投資テーマとして各媒体がこぞって取り上げたからです。『証券時報』は同月26日、証券各社が相次いでkimiと大規模モデル技術のリポートを発表し、関連銘柄を分析していると伝えました。
「kimi」は中国発の生成人工知能(AI)です。開発元は2023年4月設立の月之暗面科技(Moonshot AI)。創業から半年後の10月、ChatGPTのような対話型AI「Kimi Chat」を公開し、「漢字20万字の入力に対応」という高性能が評判となりました。一度に処理できる漢字の量は、中国語の文章を要約・分析する能力を示す指標です。文章を段階的に取り込む生成AIの場合、いわば「文脈を見失う」可能性が高まり、一見するとつながっているようでいて実は的外れな回答を出すことがあります。しかし長文を一気に理解できるAIならば、回答の信頼性はより高まることになります。
漢字200万字を処理できる「スマートアシスタント」登場
今年3月18日に月之暗面科技が発表した「kimiスマートアシスタント」は性能が一段と増強され、漢字200万字を文脈の意味を失うことなく取り込めるようになりました。これが引き金となり、大規模言語モデルのトレーニングに使うツールなどを手掛ける企業や、AIが活用できるサービスのプロバイダーなどが関連銘柄とみなされ、買いを集めるようになりました。中国メディア『金融投資報』によると、同月22日にkimiテーマ株の指数は4.34%上昇し、多数の銘柄がストップ高を付けました。
上海証券取引所と深セン証券取引所がそれぞれ開設している投資家向けQ&Aサイトには、少しでもkimiと関連がありそうな上場企業に月之暗面科技との提携の有無を問う質問が寄せられ、各社の広報担当者が対応に追われる一幕がありました。
「これまでも”ファーウェイ産業チェーン“や”アップル産業チェーン“のように、大いにはやされたテーマはあった。しかし創業まもない企業がここまで大きな波動を引き起こすのは初めてではないか」――テック系ニュースメディア『騰訊科技』は3月27日、このように伝えています。
月之暗面科技(Moonshot AI)のスマートフォン公式サイト
創業初年度に12億米ドル調達、アリババ集団や美団が出資
なぜ、kimiは中国の投資家からこれほど歓迎されているのでしょう?まず、国産ユニコーンによって開発された、幅広い応用が期待できるAIということでしょう。『騰訊科技』は「足元のAIブームのなか、国内で創業した企業が真の意味で“ブレークスルー”を果たした最初の例」と評しています。
米CBインサイツが公開している世界ユニコーン企業リスト(2024年3月24日時点)には168社の中国企業が掲載されています。月之暗面科技の企業価値は25億米ドルで、中国企業としては37位にランクインしました。設立以降、2回の資金調達ラウンドで12億米ドル以上を集めています。2回目のラウンド(シリーズB)の出資者には、中国ネット大手のアリババ集団(09988)や美団(03690)、中国ユニコーンの小紅書(評価額はバイトダンスに次ぐ2位の200億米ドル)が名を連ねました。
新世代のテック株、先端技術とポップなセンスが魅力
もう一つの、見逃せない要素は、誤解を恐れずに言えば月之暗面科技が醸し出しているポップな魅力でしょう。最先端の技術を駆使していながら、一般ユーザーに魅力たっぷりのサービスを提供するあたり、かつてのグーグル、テンセント、小米(シャオミ)を思わせるたたずまいが感じられます(そうしたイメージを意図的に発信しているのか、たまたま結果的にそうなったのかは判然としませんが)。「ひょっとすると、新世代のテックジャイアントに大化けするかも知れない」――投資家にそんな期待を抱かせるユニコーンです。
社名からして、投資家の興味をかき立てる狙いを込めたように思われます。「月之暗面」は英訳すれば「The Dark Side of the Moon」。洋楽ファンであれば英ロックバンドのピンク・フロイドのアルバムタイトルを思い起こすでしょう。英文社名の「Moonshot」は月面着陸から派生した言葉で、大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発や壮大な構想を指します。今や日本の内閣府が「ムーンショット型研究開発制度」を立ち上げるほどポピュラーです。
創業者は31歳、グーグルやフェイスブックの研究チームに参加
創業者である楊植麟氏の経歴も、投資家に対する訴求力にあふれています。月之暗面科技を設立した2023年の時点で31歳ですから、中国で「90後」と呼ばれる世代に属しています。中国テック系メディア『36kr』によると、中国の名門・清華大学を卒業した後、米カーネギーメロン大学博士課程に進み、在学中の2019年に筆頭著者として深層学習モデル「Transformer-XL」および「XLNet」に関する2本の論文を発表しました。グーグル研究部門のAI開発チーム「Google Brain」やフェイスブック(現メタ)のAI研究組織「Facebook AI Research(FAIR)」にも参画しています。
もちろん、月之暗面科技と楊植麟氏は市場から将来を嘱望されていますが、全てのユニコーンの例に漏れず、成功を確約されているわけではありません。中国のニューエコノミーをけん引してきたアリババ集団やテンセント(00700)が成長の踊り場に差し掛かるなか、停滞感を打ち破る新たなヒーローとしてはやされているだけ、という見方もできるでしょう。現時点では、kimiテーマは市場からの片思いの産物ですが、将来は月之暗面科技が月面ならぬ株式市場への着陸を果たすのか、目を離せない存在となりそうです。