「新質の生産力」とは何を意味するのか
中国では3月5日に全国人民代表大会(全人代)が開幕し、11日までの日程で行われています。李強首相による初めての「政府活動報告」、今年の経済成長目標の設定、産業政策の方向性などが大きな注目点です。結論から言うと、李首相はそつなく演説をこなし(約50分という短さでしたが)、GDP成長目標は大方の予想通り「5.0%前後」となり、産業政策の重点もAI(人工知能)や新エネルギー、内需拡大など大きなサプライズはないように見えます。唯一の驚きと言えば、全人代終了後の恒例の首相記者会見が開かれないことでしょうか。
政府活動報告は「2023年の活動の回顧」「2024年の経済・社会発展の全般的要請と政策の方向性」「2024年の政府活動の任務」から構成されています。最初の二つは数字的な成果や目標、理念的な内容が多く、最後の「任務」の中で中国政府が今年は何を中心に政策運営を行っていくのかが具体的に示されています。
言葉の羅列で恐縮ですが、任務について23年と24年の内容を比べてみます(23年は「提案」という書き方でしたが、中国政府が力点を置く分野という意味では同じです)。
【2023年】
◇内需拡大に力を入れる
◇現代化産業体系の構築を加速する
◇「二つの揺るぐことなく」(※)を着実に実施する
※公有制経済の強化と発展と非公有制経済の発展の支援
◇外資の誘致・利用にいっそう力を入れる
◇経済・金融分野の重大リスクを効果的に防止・解消する
◇食糧生産を安定させ、農村振興を推進する
◇発展パターンのグリーン化を推し進める
◇基本的民生を保障し、社会諸事業を発展させる
【2024年】
◇現代化産業体系の構築を大いに推し進め、新質の生産力の発展を加速させる
◇科学教育興国戦略を踏み込んで実施し、質の高い発展を支える基盤を固める
◇内需拡大に力を入れ、経済の好循環の実現を推進する
◇改革を揺るぎなく深化させ、発展の内生的原動力を強化する
◇ハイレベルの対外開放を拡大し、互恵ウィンウィンを促進する
◇発展と安全保障をよりよく両立させ、重点分野のリスクを効果的に防止・解消する
◇弛むことなく「三農」活動に取り組み、農村の全面的振興を着実に推進する
◇都市・農村の融合発展と地域間の調和発展を促し、経済立地の適正化に力を注ぐ
◇生態文明建設を強化し、グリーン・低炭素化を推進する
◇民生を確実に守り改善し、ソーシャル・ガバナンスを強化・刷新する
比較ポイントをあえて挙げれば、23年に筆頭格だった内需拡大が24年は3番手となり、その代わりに「新質の生産力」という言葉が前面に出てきたことでしょうか。
この「新質の生産力」は、習近平国家主席が23年9月に黒竜江省を視察したときに初めて提唱されました。現地でも様々な議論がありますが、その意味は「継続的な科学技術の進歩とイノベーションから派生する新しい生産力」とされています。
やや概念的に過ぎる言葉ですが、24年の政府活動報告を読み解くと、「新質の生産力」の内実が分かってきます。具体的なキーワードは、「スマート化」「グリーン化」「産業エコシステム」「新エネルギー車」「量子技術」「ライフサイエンス」「デジタル経済」「ビッグデータ」「AI」「インダストリアル・インターネット」「スマートシティ」などとなります。実は中国政府はこれらの分野の強化方針はすでに掲げており、必ずしも新しみがあるものではありません。ただ、「新質の生産力」という言葉に集約し、強調することで、さらに発展を推し進めようという意図があるのかもしれません。
医療費無償化から有休取得義務化まで
さて、全人代の会期中には、北京に集まった各地の代表者から各種提議や提案が行われ、それが大きなニュースや話題になったりします。中には「なるほど!」と思うものや、「いやいや、それは違うのでは……」というものもありますが、いずれにせよ皆がいろいろ考えているなぁと毎年感心させられます。
ここで、私が気になった興味深い提案をいくつか挙げてみます。
◇6歳以下及び75歳以上の市民の医療費無償化
これは四川省の代表が提議したものです。かつては「医療費の完全無償化」という案もありましたが、14億人以上もの人口を抱える中国では経済的負担があまりにも大きいということもあり、今回の比較的妥当な案が注目されています。もし実現すれば、中国でも深刻になりつつある少子化問題の解決に繋がることも期待されます。
◇若者の有給休暇の増加及び取得の強制化
これは、特に若年労働者の職場におけるプレッシャーなどに鑑みて出された意見です。中国では制度上、有給休暇日数は「勤務開始1年経過後に5日付与」「10年経過で10日」「最大は20年で15日」などとなっていますが、実際の取得状況は芳しくなく、有休消化率が低いとされています。背景には業務の忙しさなどのほか、日本と同じく「有休を取りづらい」という職場の微妙な雰囲気もあるようです。そこで、有給取得を義務化・強制化すべきとの意見が出てきたわけですが、ネット上ではこれを支持する好意的なコメントが多く出ていました。
◇求人年齢制限「35歳以下」の緩和
中国の求人広告には年齢制限が設けられていることが多く、その大部分は「35歳以下」となっています。これは、「公務員試験の年齢制限35歳」に倣ったものと見られますが、一方で年齢差別だとの見方もあります。社会の移り変わりに伴い、特に少子高齢化が進む現実社会に合わせ、特に必要がない限りはこのような制限は撤廃するべきでは、という提議は重要でしょう。また、職場での様々な男女差別の撤廃を求める声もありました。
◇大学生の「ネットゲーム熱中」の防止システム確立
これは、現行の「未成年のゲーム規制」の拡大版と言えるでしょう(中国での成年は18歳以上)。提案者の全人代代表は、「大学生は学業に集中すべし」「ネットゲームに大量な時間を浪費すべきではない」などと強調しています。確かに言っている内容は正しそうですが、そこまで規制すべきものなのかどうかは意見が分かれそうです。個人的には「この程度なら個人でコントロールできるはず」と思う一方、「強力なルールが必要なほど“ゲーム中毒”が進んでいるような……」とも感じています。ちなみに、この提言に対してはネット上でブーイングが起きていました。
これらの提案は、当然ながら必ず実現するとは限らず、あくまで案レベルです。とは言え、あたかも「百家争鳴」の如く、様々な意見が出てくるのはこの時期ならでは。全人代代表の発言を通じて一般市民の希望が垣間見える貴重な機会と言えるでしょう。