世界7位の規模を誇る香港市場。香港市場には中国を代表するIT企業など、数多くの魅力的な銘柄が上場しています。これまでテンセント(00700)、アリババ集団(09988)、中国建設銀行(00939)、チャイナ・モバイル(00941)、美団(03690)、HSBC(00005)の6銘柄を紹介してきました。今回は時価総額7位のAIAグループ(01299)を紹介します。
アジア最大級の保険会社、18カ国・地域で事業を展開
AIAグループ(友邦保険:01299)は創業から100年以上の歴史を誇るアジアを代表する大手生命保険会社です。もともとは米保険持ち株会社AIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)のアジア部門で、リーマン・ショック後の再編でAIGから独立。香港を拠点に中国、タイ、シンガポール、マレーシア、豪州、ニュージーランドなどアジア・太平洋の18カ国・地域で事業を展開し、個人向け・法人向けの生命保険のほか、年金保険、医療保険、傷害保険などを扱っています。
日本での知名度は高くはないかもしれませんが、AIAの個人保険契約数は4000万件超、団体契約の加入数は1700万件を超え、保険料収入はアジア最大級。2021年末時点の時価総額は生命保険会社で世界最大を誇ります。また、サッカー英プレミアリーグ、トッテナム・ホットスパーズとスポンサー契約を結んでいるので、ユニフォームの胸に記されている「AIA」の大きな文字を見たことがある人は多いのではないでしょうか。2023年1月には、トッテナムのFWで、イングランド代表の主将を務めるハリー・ケイン選手がAIAのアンバサダーに就任しています。
出所:AIAホームページ
また、AIAは世界中のトップセールスマンだけが入会できるミリオン・ダラー・ラウンド・テーブル(MDRT)の会員数でダントツの世界1位。中国エリアだけでも、日本で事業展開するプルデンシャル生命保険やソニー生命保険の2倍以上の会員を抱えています。AIAが人材に相当な力を入れていることが分かります。
米国人実業家のスター氏が1919年に上海で創業
AIAは米国人の青年実業家コーネリアス・バンダー・スター氏が1919年、27歳のときに上海で設立した小さな保険代理店American Asiatic Underwriters(美亜保険:AAU)がそのルーツです。AIAはもともとAIGのアジア部門だったという経緯もあり、その歴史はAIGと重なります。
スター氏は1910年にカリフォルニア大学バークレー校に入学しますが1年で中退。第一次大戦中は軍隊に入りますが、終戦に伴って1919年、横浜にある米国の汽船会社バシフィック・メール・スチームシップ(太平洋郵船)に事務員として就職します。しかし、上司への不満からわずか半年で退職。その後、トランク片手に日本から新天地・上海に渡ります。当時の上海は租界地を中心に発展していました。このときのスター氏の所持金はわずか300円だったといいます。ただ、スター氏は何かを売るという点については才能があったようで、上海で始めた火災保険や海上保険を販売する保険代理事業で成功を収めます。
写真は創業者のスター氏 出所:AIAホームページ
1931年には上海で新たに新会社International Assurance Co.,Ltd.(国際保険:INTASCO)を設立します。この会社が実質的にその後のAIAの母体となります。INTASCOは設立と同じ年に早くも香港とシンガポールに支店を設立。1938年にはタイに進出するなど、先行者メリットを生かして積極的にアジア事業を開拓していきます。
このころ、保険事業とは別に上海で新聞事業も展開し、英語と中国語の新聞を発行。新聞を通じて、日本軍による中国大陸への進出を非難します。しかし、徐々に中国での事業環境が悪化するなか、1939年に本社を上海からニューヨークに移す決断を下します。
写真は当時の香港支店 出所:AIAホームページ
日本の真珠湾攻撃で太平洋戦争が勃発すると、アジアでの保険事業は大きな打撃を受けます。スター氏が上海で手掛けていた新聞事業も日本軍に接収されてしまいますが、スター氏はニューヨークで新聞の発行を継続。第二次大戦中の情報収集や諜報活動などを担った米戦略情報局(OSS)とも協力関係を築きます。戦時中は保険セールスを行いながら、諜報活動も行われていたようです。
第二次大戦が終結すると大規模な組織再編を行います。INTASCOは1947年に本社を香港に移転。社名をAmerican International Assurance Co.,Ltd.(友邦保険:AIA)に変更し、再スタートを切ります。ここで初めてAIAという社名が登場します。
次回もAIAの続きです。お楽しみに。