FX指南役を知るためにディーラーの歴史を知る
プロの為替ディーラーというと、個人でFXを稼いでいる方がもプロと呼べるかもしれませんが、ここでは金融機関の中で、特に為替を専門としていたディーラーをプロという定義で話したいと思います。
現在のFX業界で様々な元ディーラーの指南役が活躍されていますが、「昔から有名で優秀だった方」「マネージャー職しかしていなかった方」「複数の金融機関で損失を隠していて解雇された方」「あなたは誰?」という方…様々な方がいます。信用できる人もいれば、どうなんだろうなあ、という方もいます。
まずはディーラーの歴史を知っておく必要があるので、そこから説明します。
カスタマーディーラーとインターバンクディーラー
為替ディーラーと呼ばれる場合でも複数の職種が存在しますが主に分けて2種類あります。
ディーリングルームには顧客とインターバンクとつないだり、顧客の売買・スワップなどの手伝いをする営業系ディーラーを「セールス」および「カスタマーディーラー」と呼びます。主な収益源は顧客からの手数料や、後述するインターバンクディーラーから鞘を抜いて利益を上げます。
一方で、為替を市場で売買するディーラーを主に「インターバンクディーラー」と呼びます。収益源は顧客にヒットされたポジションを適切なタイミングで為替市場に捌き、その差益で収益を得ることと、自分が思ったポジションを持ち、その動向次第で利益を上げます。
他にもフォワードやオプションを担当するディーラー、などもいますがここでは割愛します。
1980年代から1991年頃まで…ディーラー花盛り
プロの為替ディーラーの移り変わりは激しいですが、時代によりやることが異なっていきます。
何年まで働いていたかにより、その方が古い業界の知識だけで指南役となっているのか、現代の知識もあるのかなどを知ることが出来ますので、注目をしておきたいところです。
1980年代や1991年頃はディーラー花盛りの時代です。
私 が働いていた外資系金融機関では、東京支店でドル円のメインディーラーとアシスタント、ドイツマルクの担当、英ポンドの担当とアシスタント、マルク円の担当、そのほかオセアニア通貨などの担当です。東京支店でも10人程度の人員でした。
金融市場のメッカでもあるロンドンは上述のメンバー以外にも、ポンドマルク担当、スイスフラン担当、フレンチフラン担当、ダッチギルダーとベルギーフラン担当、ペセタとリラ担当、などなど数十人規模でした。
この時代しか働いていないディーラーは「為替は儲かって当たり前」というような気持ちを持っているでしょう。
多くのディーラーは自分が担当している通貨を主として売買していました。これは為替市場がある程度ボラタイルで、顧客も多く、顧客からの鞘抜きもしやすかったからです。要するに儲けやすい時代だったからです。
日本人の多くはドル円ばかりディールしている時代ともいえます。例外もありますが、この時代までしかディーラーをしていないFX指南役はドル円以外は基本専門外と思ってよいかもしれません。(というか、この時代でディーラー界から退いていた場合は、ディーラー時代は失敗していたとしか思えません)
1991年ユーロ導入...通貨減少...椅子取りゲーム第1弾
1991年にユーロが導入されると独・仏・蘭・伊・西などの国の通貨が一つになり、通貨の減少とともにディーラーも多くいる必要性が無くなります。
優秀なディーラーは残りますが、1990年前半から徐々に椅子取りゲームが始まります。優秀でないディーラーの椅子が無くなり、銀行・証券会社等のディーラーとして働く席が減少します。
上述の通貨減少だけでなく、1990年代前半はまさにバブル崩壊期ですので、顧客も厳しい要求をすることになることで、実力のないディーラー(特にインターバンクディーラー)はその期待に応えることが出来ず退場。
また、バブル崩壊で東京支店のディーラーを10人程度から数人程度に減少することにより、実力がないとよりふるいに落とされて退場することになります。
1990年代半ば...電子トレーディング隆盛...椅子取りゲーム第2弾
1990年序盤までは直物取引を扱う外為ブローカーが取引の中心となっていました。当時はトウキョウフォレックス、日短エーピー、上田ハーロー、ハトリマーシャル、山根プレボン、コバヤシなどなど、人間がレートを読み、その声を聞き取りディーラーがプライスをたたくという取引方法だったのですが、1992年ころから手数料も安く、公平性も保たれる電子トレーディングが出てきます。
徐々にその電子ブローキングが拡大していきます。ディーラーは簡単に電子トレーディングをできるだけでなく、その電子トレーディングに自分の売買管理システムもリンクすることが出来るようになり、ポジション管理も簡単になります。
要は余計に人員が要らなくなり、椅子取りゲーム第2弾がはじまり、ここでも収益をあまり上げられないディーラーはふるいに落とされていきます。
2000年...金融機関合併...椅子取りゲーム第3弾
私が金融機関に初めて入行(1980年代)時には都市銀行が13行、信託銀行も7行、長信銀も3行ありました。
日本はあくまでもほぼ国内金融機関同士の合併ですが、多くの銀行が合併していきます。
欧米金融機関の動きは更に激しく、国を跨いでの合併が2000年中頃から盛んに始まります。
当然金融機関の合併により、重複するディーラーの片方は要らなくなり、椅子取りゲーム第3弾となります。
この辺りからは実力がある人でも、運の悪い人はちらほらとディーラー職が無くなりつつあります。
2008年...リーマンショック...椅子取りゲームの椅子が無くなり始める
更に、2008年にはリーマンショックが起きてしまいます。金融機関は今度は支店自体をまとめる作業に入ります。
例えば昔はアジア・オセアニアにはシドニー、ウェリントン、香港、シンガポール、東京のすべてにディーリングルームがあった金融機関も、ビジネスが少ないオセアニア両国を閉鎖か大幅縮小します。
残り3支店は骨肉の争いになりますが、香港は中国とのビジネスの拠点に優位性、シンガポールは税金の優位性に英語力もあります。
一方日本は当時はオフィスや人件費が高く、英語力も劣る、さらにバブル崩壊でビジネスが大幅減、ということで東京支店の多くはディーリングルーム閉鎖や縮小で、椅子取りゲームの椅子すら無くなってしまったわけです。
過去の常識が通じない世界も出てくる
このような過程でディーラーが金融機関から退場してしまいます。
FX指南役が早期に金融機関を退場したからと言って、その方が優秀ではないとは限りません。
ただし、時代の移り変わりも重要な意味を持ちます。これはFX業界だけでに限らず、野球やサッカーなどのスポーツにも共通しているでしょう。
例えば野球でも日本プロ野球で一番のヒット数を記録したご意見番が「喝!」と声を上げている番組がありましたが、現代野球の方々が納得しないとの声もありました。
練習方法、解析技術など様々なものが変わっていることで、過去の常識が通じないものもたくさんあるからでしょう。
FX業界でも同様に、時代の移り変わりで5年前、10年前、さらにもっと前の常識が現在とはかなり異なることが多くあります。
かなり前にディーラー職を辞した方が話していることを聞いていると、「そのようなことは現在の為替では起こらないのに」ということを話している人もいるわけです。
次回はこの点を踏まえ、指南役選択での細かな点も記載したいと思います。