骨太ショック
6月30日に公表された高市政権の「骨太の方針」の原案以降、円安地合いが継続しています。
市場では、その内容を受けて「骨太ショック」との声も聞かれます。
この原案では、高市政権が目指す「強い経済」の実現には、適切な金融政策運営が「非常に重要」であると強調されていました。
さらに、「日本銀行法第4条」や政府・日銀の共同声明(2%の物価目標)の趣旨に沿って、政府と日銀が緊密に連携することを求めるなど、中央銀行への踏み込んだ表現が盛り込まれていました。
この内容を受け、市場では「高市政権が日銀に対し、利上げを急がず金融緩和を維持するよう政治的な圧力をかけている」との受け止めが広がりました。
もっとも、この点については、これまでも第117回「日銀には独立性がないことを知らないでやってはいけない」で指摘してきたように、日本銀行の独立性には以前から疑問が投げかけられていました。
また、高市氏自身も首相就任前から利上げに否定的な発言を繰り返しており、その意味では今回の内容自体に大きなサプライズはありません。
しかし、政府の公式な基本方針の中で中央銀行との連携をこれほど強く打ち出したことは異例であり、市場が金融政策への政治的関与を意識するには十分な内容だったと言えるでしょう。
こうした受け止めは、「日銀は利上げを進めにくくなる」との見方につながり、金利面から円売りを促す要因となっています。
ただ、それだけではありません。
中央銀行の独立性を重視する米国をはじめ、多くの先進国の投資家からみれば、日本の政治と日銀の距離感に対する疑念が強まる可能性があります。
通貨の信認は、金融政策の透明性や中央銀行の独立性に大きく左右されます。
そのため、海外投資家が日本への投資や円の保有に慎重な姿勢を強めることは、決して不自然な反応ではないでしょう。
日銀への圧力だけではない、もう1つの骨太ショック
今回の「骨太ショック」は、日銀への政治的圧力だけが問題ではありません。
もう一つ市場に衝撃を与えたのが、「財政健全化」という文言が削除されたことです。
2001年に小泉政権の下で「骨太の方針」が策定されて以来、「財政健全化」の文言が完全に削除されたのは今回が初めてとなります。
高市首相が政治的な師と仰ぐ安倍政権や、その後の岸田政権でも維持されてきた表現をあえて削除したことは、高市政権の政策スタンスを鮮明に示したものと言えるでしょう。
高市首相は従来から、「経済成長によって税収を増やし、その結果として財政を維持する」という考え方を「責任ある積極財政」と位置付けています
。そのため、財政健全化を前面に掲げるのではなく、まずは成長を優先する姿勢を明確にした形です。
しかし、市場は日本だけを特別扱いすることはありません。どの国であっても、財政規律が緩む兆候には極めて厳しい目を向けます。
これまで世界各国で、政治家が財政規律を軽視した結果、国債や通貨が市場から厳しい評価を受けた事例は数多くありました。
そのため、今回の方針転換に対して海外投資家が日本の財政運営に警戒感を強めることは、決して不自然な反応ではないでしょう。
英国の例を見れば分かる財政の重要性
財政政策が市場にどれほど大きな影響を与えるのかは、この4年間で英国が正反対の動きを経験したことを見ればよく分かります。
まず、2022年秋に発生した「トラスショック(Truss Shock)」では、財政規律を軽視した政策が引き金となり、市場が先進国の国債や通貨を容赦なく売り浴びせるという、歴史的な混乱が発生しました。
2022年9月23日、当時のトラス政権でクワーテング財務相は、歳出削減などの財源の裏付けがないまま、総額450億ポンド規模の大型減税策(ミニ・バジェット)を発表しました。
これを受け、市場では「英国財政の持続可能性が損なわれる」との懸念が急速に広がり、英国資産は「トリプル安(国債安・ポンド安・株安)」に見舞われました。
指標となる10年物英国国債利回りは、発表前の約3.5%から一時4.5%台まで急上昇しました。
さらに、金利変動の影響を受けやすい30年物国債利回りは、一時5%台まで急騰し、市場の動揺の大きさを物語りました。
また、英国財政への信認が急速に低下したことでポンド売りも加速し、ポンド/ドルは一時1.035ドル近辺まで下落しました。
これは1985年以来、約37年ぶりとなる歴史的な安値であり、市場が財政規律をいかに重視しているかを世界に示す象徴的な出来事となりました。

一方で、先週7月15日には、2022年の「トラスショック」とは正反対の反応が市場で見られました。
次期首相となるバーナム氏は、労働党内では左派(ソフトレフト)寄りに位置し、従来から積極的な政府投資を支持する立場として知られています。
当初、その右腕となる財務相の最有力候補と目されていたのが、エド・ミリバンド元党首(当時はエネルギー・気候変動相)でした。
ミリバンド氏は、脱炭素政策(ネットゼロ)の実現に向けて巨額の政府投資を推進する姿勢を鮮明にしていたことから、市場では「国債発行を大幅に増やし、財政規律が緩むのではないか」との警戒感が強まっていました。
しかし、2026年7月15日に英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)などが、「バーナム氏はミリバンド氏ではなく、シャバナ・マフムード現内相を財務相に起用する方針を固めた」と報じると、市場の見方は一変しました。
マフムード氏は労働党内でも中道・現実主義派とみられ、前スターマー政権が掲げていた厳格な財政規律を重視する路線(スターマー・リーブス路線)を引き継ぐ人物との評価が広がっています。
この報道を受け、市場では「英国の財政規律が維持される」との安心感から英国国債が買い戻されるとともに、ポンドも主要通貨に対して全面高となりました。
ポンドは、最も重要な通貨ペアであるユーロに対して昨年6月以来の高値まで上昇したほか、対円では2008年1月以来の水準まで買われました。
わずか4年の間に、英国市場は「財政規律が緩む」との懸念では国債と通貨を売り、「財政規律が維持される」との期待では国債と通貨を買うという、正反対の反応を示しました。
財政政策に対する市場の評価が、いかに厳格であるかを象徴する事例と言えるでしょう。
サッチャー支持者の運命はいかに?
高市首相とトラス元英首相には、一つの共通点があります。それは、二人ともマーガレット・サッチャー元英首相を強く敬愛していることです。
高市首相は、サッチャー元首相を「憧れの政治家」「目標とする政治家」と公言しており、その政治姿勢を強く意識していることで知られています。
一方、トラス元首相もサッチャー氏をロールモデルとしていました。
ファッションまで意識し、討論会ではサッチャー氏が愛用していた大きなリボン付きの白いブラウス(ボウタイブラウス)に酷似した服装で登壇したほか、ロシア訪問時にはサッチャー氏を彷彿とさせる丸い毛皮の帽子を着用するなど、その傾倒ぶりは広く知られていました。
しかし、高市首相とトラス元首相は、サッチャー元首相とは決定的に異なる点があります。
それは、財政政策です。
サッチャー元首相は財政健全化を最優先課題と位置付け、インフレ対策として歳出削減や増税などの痛みを伴う政策を先に実施しました。
その上で、経済の立て直しが進んだ後に減税へと舵を切っています。
一方、高市首相とトラス元首相は、積極財政を重視し、政府支出の拡大を志向しています。
特にトラス元首相は、財源の裏付けを欠いた大型減税策が市場の信認を失う結果となり、英国史上最短の在任期間で辞任に追い込まれました。
このように、財政政策は政治に大きな影響を与えるだけではありません。
市場の評価次第では、国債や通貨が大きく売買され、FX市場のトレンドを左右する重要な要因にもなります。
今後、「骨太の方針」で日銀に関する文言が修正されたとしても、それだけで円安圧力が解消されるとは限りません。
市場が日本の財政規律に疑念を抱き続ける限り、海外投資家を中心とした円売り圧力は残る可能性があります。
FX市場で取引する以上、金融政策だけでなく、財政政策に対する市場の評価にも目を向けることが重要でしょう。



