高市首相によるリフレ派の採用
高市政権は、岸田前政権下で進められてきた「金融政策の正常化(着実な利上げ路線)」に対し、成長重視・積極財政の立場から慎重姿勢を示してきました。
その姿勢を象徴するのが、日銀審議委員人事です。
任期満了を迎えた野口旭氏(3月退任)および中川順子氏(6月退任)の後任として、浅田統一郎氏と佐藤綾野氏が起用されました。
浅田氏は4月1日、佐藤氏は6月30日に日銀審議委員に就任しています。
両氏については、市場ではリフレ派、あるいは金融緩和に比較的前向きな論客とみられてきました。
高市首相による両氏の起用については、日銀の「利上げペース」に対するけん制との見方があります。
植田日銀総裁が進める金融政策の正常化に対し、政策委員会の中に利上げに慎重な委員を送り込むことで、性急な利上げに歯止めをかける狙いがあると考えられます。
これは単なる金融政策上のスタンスの違いではありません。
高市政権が掲げる「危機管理投資・成長投資のための積極財政」を進めるためには、財政支出と金利上昇の組み合わせが大きな制約になります。
政府が積極的に財政を拡大する一方で日銀が利上げを続ければ、国債利回りの上昇を通じて財政コストが増加し、企業や家計の資金調達環境にも影響します。
つまり、高市政権にとって低金利環境をできるだけ長く維持したいという政策的なインセンティブは強いといえます。
これは、「アベノミクス」型の財政・金融政策の組み合わせを継続する動きともいえるでしょう。
アベノミクスとタカイチノミクスの決定的な違い
ここで重要なのは、タカイチノミクスが模倣しようとしているアベノミクスと、現在の日本経済では政策を取り巻く環境が大きく異なることです。
2011年から2012年にかけて、日本は歴史的な円高とデフレに苦しんでいました。ドル円は75-80円台で推移し、2011年10月には75円32銭まで下落しました。
東日本大震災や世界金融危機などの影響も重なり、日本の輸出産業や製造業は厳しい環境に置かれていました。
「六重苦」と呼ばれる状況の中で、円高とデフレから脱却することが政策上の大きな課題となっていました。
そこで打ち出されたのが「3本の矢」です。
第1の矢は大胆な金融政策です。黒田日銀総裁の下で「量的・質的金融緩和(QQE)」を実施し、大量の資金を供給するとともに、2%の物価安定目標を掲げました。
第2の矢は機動的な財政政策です。大型補正予算や公共事業などによって需要を創出しました。
第3の矢は成長戦略です。規制緩和、法人税率の引き下げ、TPP推進、インバウンド誘致などを通じて、民間投資の拡大を目指しました。
特に第1の矢である「黒田バズーカ」は為替市場に強烈なインパクトを与え、2012年末から急速な円安・ドル高が進行しました。
ドル円はその後、2015年に125円台まで上昇しています。
しかし、現在のタカイチノミクスは、この時とは全く異なる環境で行われています。
当時は「円高・デフレ」が問題でした。現在は「円安・インフレ」が問題となっています。
この違いを無視して、当時と同じように金融緩和と積極財政を組み合わせれば、政策効果よりも副作用が大きくなる可能性があります。

タカイチノミクスの最大の問題は「政策の前提」が変わっていること
アベノミクスが円高是正やデフレ脱却を進めるうえで一定の効果を上げた一方、その副作用も明らかになりました。
労働需給が逼迫する中でも実質賃金の持続的な伸びが十分に追いつかなかったほか、円安やエネルギー価格の上昇によって輸入物価が押し上げられ、食料品や生活必需品の価格上昇が家計を圧迫しました。
それでも、アベノミクスが始まった当時は、円高とデフレからの脱却が最優先課題でした。
現在はその逆です。
すでに円安が輸入物価を押し上げ、物価上昇が家計を圧迫している中で、さらに財政を拡大し、金融緩和に慎重な姿勢を取れば、円安圧力を再び強める可能性があります。
つまり、かつては「円安にすること」が政策効果の一つとして期待されたのに対し、現在は「円安そのものが政策上のリスク」になっています。
ここにタカイチノミクスの最大の問題があります。
政策の枠組みだけをアベノミクスから引き継いでも、政策を必要としていた経済環境まで同じではありません。
むしろ現在の日本では、財政拡大と金融緩和を同時に進めることで、円安、輸入インフレ、長期金利上昇という複数の問題を同時に引き起こすリスクがあります。
実際、日銀は9月の金融政策決定会合で政策金利を1.25%に引き上げましたが、浅田氏と佐藤氏は利上げに反対しました。
結果は7対2となり、政策委員会内の利上げに対するスタンスの違いが明確になっています。
これは単なる「2人の反対票」ではありません。
市場から見れば、政府が積極財政を掲げ、その一方で日銀の政策委員会には利上げに慎重な委員が存在するという構図です。
財政政策と金融政策の方向性が十分にそろっていないと受け止められれば、円安圧力が長期化する可能性があります。
米国からの「リフレ終了」要求と高市政権のジレンマ
この問題をさらに複雑にしているのが、米国との政策認識の違いです。
ベッセント米財務長官はG20後の会見でアベノミクスを評価する一方、日本はその成果を享受する段階に移行し、「リフレ政策を止めるべきだ」との趣旨の発言をしています。
ただし、日本側は米国から日本の金融政策について具体的な変更要求を受けたとは説明していません。
したがって、ベッセント氏の発言をそのまま「米国からの日銀利上げ要求」と断定することには注意が必要です。
それでも、米国側が日本の円安や金融政策を問題視していることは無視できません。
そして、そのタイミングで高市首相が起用した2人の委員が利上げに反対したことは、市場にとって重要な意味を持ちます。
つまり、日本政府が「リフレ政策を続けたい」と考えている一方で、米国側は「リフレ政策を終えるべきだ」という方向のメッセージを発しているという、政策のねじれが生じています。
高市政権にとって最大の問題は、このねじれを抱えたままでは、円安を容認する政策を自由に続けることが難しくなることです。
「タカイチノミクス」はアベノミクスを再現できるのか
アベノミクスとタカイチノミクスを同じものとして考えるのは危険です。
アベノミクスは、円高・デフレという明確な政策課題に対して、金融緩和、財政出動、成長戦略を組み合わせた政策でした。
一方、タカイチノミクスは、すでに円安・インフレという環境の中で、同じように積極財政と金融緩和を組み合わせようとしています。
ここには大きな違いがあります。
特に問題なのは、財政拡大によって景気を刺激しながら、日銀には利上げを急がせないという政策を続ければ、円安とインフレを通じて家計負担をさらに高める可能性があることです。
また、円安が進めば米国側からの圧力が強まる可能性もあります。
そうなれば、高市政権は「国内ではリフレ政策を進めたいが、対外的には円安を抑制しなければならない」という矛盾した政策運営を迫られます。
これは、アベノミクスにはなかった新たな制約です。
さらに、今後の日銀審議委員人事も重要になります。
来年には新たな審議委員の指名が予定されており、ここで高市首相が再び利上げに慎重な委員を起用するのか、それとも金融政策の正常化を意識した人事に転じるのかが注目されます。
もし高市政権がさらにリフレ派とみられる委員を起用すれば、国内では「金融緩和を継続する意思」と受け止められる一方、米国側との政策認識の違いが改めて意識される可能性があります。
逆に、利上げに慎重な委員の起用を控えるのであれば、高市政権が掲げてきたリフレ政策そのものの修正と受け止められる可能性があります。
したがって、今後の日銀人事は単なる人事ではありません。
タカイチノミクスがアベノミクスをどこまで再現できるのか、そして高市政権が円安・インフレという現在の環境下でもリフレ政策を維持できるのかを占う重要な材料になります。
為替市場にとっても、今後の審議委員人事と政策委員会における利上げ票の構成は、ドル円の方向性を考えるうえで無視できないテーマとなるでしょう。



